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ロマンの木曜日
 
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開始から1時間で202犠打達成


球が 恐くて 腰が引ける

時速70kmだったら余裕だ、と思っていたが最初の3回は空振りだった。
上原投手の映像にかなりの臨場感があって、ボールが恐い。どうしても腰が引けてしまう。


もっと腰を入れて

今回の挑戦にあたり、ウエブマスターの林さんに後見人として僕の記録達成の瞬間を見届けてもらう事にした。

林さんは僕のフォームを見て黙っていられなかったらしく、おもむろに打席に入ってきた。

林「もっとバットの真ん中くらいを持った方がいいですよ」
住「いや、そんな所持ったらバットとボールで手を挟んじゃいますって」
林「大丈夫ですよ」
住「じゃあ、やってみて下さいよ」
林「いや、僕は後見人なので」

そんな林さんのアドバイスを受け、僕は再びピッチングマシンと向き合う。
上原投手が振りかぶり、第4球を投げる。


1個 2個 3個

ボゴッと鈍い音を立て、4球目にして始めてボールが前に転がった。記念すべき犠打1個目だ。残りあと514。途方もない数字だが、まずは第1歩を踏み出した。


ひたすら バントで 69個

プリペイドカード1枚分、80球を終えた時点で成功したバントは69個。成功率は約86パーセントだ。もっと精度を上げていかないと、世界記録は遠い。
分かっていても、この時点でかなりのストレスがたまっている。思いっきりボールを叩いて生きたボールをかっ飛ばしたい。
そもそも、バッティングセンターって、そういう場所なはずだ。


カキーンッ

そんな僕のストレスに構う事なく、林さんが隣の打席で強振している。
カキーンッ!と金属バットが快音をあげ打球がギューンッと伸びる。

ああ、僕も思いっきりバットを振り回したい。
気持ちが揺らぎ、バントを放棄したくなる。


僕は見ている

「こんな所で諦めてしまうのかい」
川相選手の声が聞こえる。

川相選手は1982年、ドラフト4位で巨人に入団した。1軍での初出場は1984年4月24日の大洋戦。そこから2ヵ月後、6月2日後楽園球場(現東京ドーム)での対ヤクルト戦にてプロ初安打を放っている。
1990年にはシーズン58犠打を記録し、初の最多犠打賞を受賞。そこからコンスタントに犠打を積み上げていき、91年、92年、93年、95年、96年、97年と最多犠打賞を獲得した。

「所詮、君には無理だったのかもね」
いや、違う。
僕はバントの世界記録を達成するために、ここにいるのだ。


気を取り直して バント そして200犠打突破

開始から1時間が経過した。
11ゲームを終えて、ここまでの記録は202個。
ちなみに、川相選手は入団から9年目の1992年に200犠打を突破している。


太鼓の達人越しのバントの達人

バッティングに飽きた林さんが太鼓の達人に興じているが、もう僕は迷わない。



 

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