大粒の雨が窓を打ち付ける日のことだった。 僕は自宅でパソコンに向かい、特にやることも無く、ただモニターを眺めていた。僕の住んでいる建物は、ひと昔前に立てられた家々が並ぶ住宅街にあって、とても静かで、雨が降れば雨の音しかしない。それをBGMに僕はウトウトとしていた。
ふと、目線を左にずらすと空になったペットボトルが置かれていた。何でペットボトルがあるんだっけ…? と、田舎で飼われている暇そうな犬のような目で考えた。しばらくして、一週間前に外出した時に買ったことを思い出した。
僕はおもむろに椅子から立ち上がった。 視線はペットボトルに定めたまま、2歩後ろに下がった。そして、「ハイ!」と叫び声をあげた。「ハイ!」と同時に右手を前方に突き出す。「気」か何かでペットボトルを倒そうとしているのだ。
もちろん倒れるはずが無い。 ペットボトルは完璧な耐震構造の建物みたいにピクリとも動かない。そんなことは分かったいるのだ。「気」なんて僕にはないのだ。それなのに「ハイ!」と掛け声を出して、倒れないかチャレンジしてしまう。
これはこの日に限った話ではない。 暇があると僕はおもむろに立ち上がり「ハイ!」とやっているのだ。しかし、一度だって倒れたことはない。いい大人が平日の午後に、何をやっているのだろうと思う。多くの人が働いている時間だ。そんな時間帯に僕は「気」でペットボトルを倒そうと挑戦し、一度たりとも成功していないのだ。
しかし、人はこうして老いて行くのだと思う。 倒そうと志したにも関わらず、倒すことはできず、ただただ無駄な時間が過ぎていく。僕らの人生では一度だって倒すことはできないのだ。時間の無駄なのだ。世界は不可能なことだらけなのだ。
と、意味不明な落ち込んだフリをしつつ「ハイ!」とまた声を上げる。 ペットボトルの意表を突く作戦だ。もちろんペットボトルは電池の切れた時計みたいにピクリとも動かない。もう何年も「ハイ!」とチャレンジするが倒れない。ペットボトルには優しさが無いのだろうか。そろそろ倒れてくれてもいいと思うのだ。
しかし、「胡麻さけ」は優しさで満ち溢れていた。 胡麻の芳醇な香りが口いっぱいに広がり幸せな気持ちになる。ふっくらとした御飯と、サケの絶妙な塩加減は、優しさに満ちた味がする。いつまでも変わらぬ味でいて欲しいと願ってやまない、おにぎりだった。 ( 2010/11/29 21:30:00 )
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