ハードルを感じる時がある。 ドトールコーヒーには普通に入れるが、スターバックスになると僕は急にハードルを感じる。僕にとってスターバックスは最高にオシャレで自分には不釣合いに感じるのだ。だって、「ショート、トール、グランデ」だ。ドトールコーヒーならティー Mサイズだけで3時間粘れるが、スターバックスでは妙に恐縮してしまい、すぐに出てしまいたくなる。
ドンキーホーテでは普通に洋服を選べるが、無印で選ぶとなるとハードルを感じる。値段的な違いでのハードルではない。そこには精神的なハードルが存在する。何も洋服に限ったことではなく、無印全体がオシャレで入ることにすらハードルを感じるのだ。
男友達が「ひとりは自由でいいな」といつか言っていた。僕はたまにひとりではあることをどうしようもなく不自由に感じる。僕はスターバックスだって無印だって誰かと一緒だったらハードルを感じないからだ。
いつだったか、雨宿りに女の子とスターバックスに入った。彼女が「雨やまないね」と外を見ながら言った。僕も「そうだね」と同意した。でも、雨なんてやむなと僕は思った。彼女とスターバックスにいたかったからだ。
無印もそうだ。展示品のソファーに僕が腰掛けていたら、彼女が隣に座り、二人無言で宙を見た。次の瞬間「なんか幸せだね」と彼女が言った。時間が止まればと思う。そこにハードルは無い。しかし、彼女と会わなくなるとスターバックスにも無印にもやはりハードルを感じる。
先日、3個98円のプリンを買った。家に帰り、プリンの蓋をはがした時に、お皿に出して食べようかとふと思う。しかし、そこにもハードルを感じる。お皿にプリンを出すことは僕にとっては最高にオシャレなのだ。地主家で一番のオシャレである弟もプリンは容器のまま食べていた。もし今プリンをお皿に出すと、地主家のオシャレを僕が一歩リードすることになる。そして、僕は散々悩みお皿にプリンを出して食べた。代官山の味がした。プリンのハードルは無事に超えることができた。
さて、股割りだけれど、こちらにもハードルがある。全然割れない。今度は股割りのハードルを超えてみせるぞ、と自分に渇をいれ、本日も股割りに励んだ。 ( 2009/12/29 21:00:00 )
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