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深夜に帰宅したら、部屋の中が微妙に明るい。 ひょっとすると、見知らぬ誰かが僕の部屋でキャンドルを灯して待ってくれているのだろうかと淡い期待も抱いたが、無論そんなわけはなく、単に台所の豆電球がつけっぱなしだったのである。
思えば、子供のころの豆電球は、不幸というよりはむしろ幸せの象徴であった。 真っ暗な部屋で眠るのが怖くて、天井からぶら下がる蛍光灯の、豆電球のあの暖かみのある淡い明かりを頼りに眠りについたものだ。
しかしどういうわけか、一人暮らしを始めると、豆電球はさみしさのシンボルになる。 部屋の蛍光灯のヒモをワンクリック、ツークリックすると蛍光灯が消えて豆電球が灯る。 天井にぽつんと光る豆電球の明かりに、僕はひとりなんだなと気付かされる。 豆電球の明かりの、なんと切ないことか。
という話しを今日はしたいのではなく、この、台所の流し台を照らす照明器具の、この豆電球の存在にいったいなんの意味があるのか、ということだ。 台所の蛍光灯は、調理の際に手元を明るくするためのものなはずであり、そうすると、ここについている豆電球の存在価値は何なのか。 料理が終わって蛍光灯を消す際、カチッとヒモを引くと蛍光灯は消えるので、それで安心して台所を後にしてしまう。 あとから豆電球の存在に気付き、あわててもう一度ヒモを引き、豆電球を消すというのが毎日の流れとなってしまっている。
最近では、豆電球をきゅるっと緩めて点灯しないようにし、うっかりミスで電気を浪費しないように心がけているが、だったらあの豆電球は何のために薄ぼんやりと、台所を照らしているのだろう。 ( 2007/01/05 00:00:00 )
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