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ロマンの木曜日
 
風吹き荒び、雨打ちつける、怒涛の高知県〜遍路日記まとめ〜

高知市近辺は久々の札所ラッシュ

さて、遍路に話を戻そう。神峯寺からも、やはり海岸沿いをひたすら西に向かって歩いていく。

同じ海岸沿いとは言え、室戸岬東側の単調で険しい道とは違い、こちら室戸岬西側は景観に変化があるので、歩くのがなかなか楽しい。前述の通り、町並みも残っているしね。


神峯寺を下りてからは、防波堤を延々と歩いて――
花咲く砂浜沿いを行く

砂浜に上げられた船が、凄く良い情緒を醸していた
さらに、廃線跡のサイクリングロードを歩き――

江戸時代初期に作られた石垣の手結港を横目に――
素朴な町並みの市街地を抜け――

小高い丘を登って行くと――
28番札所の大日寺に到着

なお、この28番札所の大日寺から33番札所の雪蹊寺までは、いずれも6〜10km足らずと寺院間の距離が短い札所密集区間である。

高知市を始めとする高知県中心部を行くものの、遍路道は市街地中心部を巧みに避けている。その為、騒々しい町を歩くものではなく、その道のりは意外とのどかなものだ。


大日寺からは広々とした田園地帯を横切り――
29番札所の国分寺にたどり着く

何だか良い風情の田畑、住宅地を抜け、峠を越えると――
程なくして30番札所の善楽寺

高知市内を南下して五大山を登れば――
そこは31番札所の竹林寺

さらに五大山を降り、別の山をひぃひぃ言いながら登ると――
たどり着くのが32番札所の禅師峰寺(ぜんじぶじ)

県営の渡し舟で浦戸湾を渡り――
33番札所の雪蹊寺に到着

立派な鯉のぼりを眺めながら歩いて行けば――
見えてくるのが34番札所の種間寺

札所ラッシュと言えば、思い出すのが序盤の吉野川沿いや、徳島市近辺の札所だけれども、今回のラッシュはそれら程には寺間が狭くない。適度に距離があるので、お参りに忙殺される事も無く、歩いていて気持ちが良い。

寺間の距離は、このくらいが近くもなく遠くもない感じでちょうど良いのかもしれない。そんな事を思った。

 

高知県後半は、ロングレンジ区間が連続

高知県前半の難所が室戸岬であるとすれば、高知県後半の難所は間違いなく足摺岬である。特に足摺岬の前後は間隔が非常に長い札所が連続しており、なかなか容赦が無い。

その距離は、35番札所の清瀧寺から36番札所の青龍寺が約14km、37番札所の岩本寺までが約59km、そして38番札所、足摺岬先端の金剛福寺まではなんと約81kmもあり、遍路の中で最も間隔が広い札所となっている。おぉ、ジーザス。


34番札所からは仁淀川を渡って土佐市に入り――
やっぱり山を登って、ようやくたどり着くのが――

35番札所の清瀧寺(きよたきじ)
山を下りた後は土佐高岡の町を抜け――

塚地峠の遍路道を歩き――
宇佐大橋を渡って――

またもや遍路道を行ってさらに峠を越えると――
36番札所の青龍寺(しょうりゅうじ)に着いた

この青龍寺に続く岩本寺までは、距離が一気に開く為、まずは20km程先にある須崎の町を目指す必要がある。

現代の歩き遍路は、深く入り込んだ浦ノ内湾沿いの車道を歩き、横浪という集落を経て須崎に至るのが一般的になっているが、かつての遍路は浦ノ内湾を船で行ったという。なんでもこの浦ノ内湾の航路は、弘法大師が開いたものなのだとか。

横浪三里とも呼ばれる浦ノ内湾は、波の無い非常に穏やかな湾。反面、陸地の地形は険しく、確かに陸上交通よりも海上交通が発達しそうな土地である。

現在、浦ノ内湾には巡航船と呼ばれる定期船が運航されており、私は横浪までこの巡航船を利用する事にした。船で渡ったという、昔の遍路と同じルートを辿りたかったのだ。決して、楽をする為ではない。ホントだよ。


宇佐の町近く、埋立船着場から巡航船に乗る
乗客は私以外に地元のおばちゃんのみ

穏やかな浦ノ内湾ではタイの養殖が盛だ
おばちゃんたちは途中で降りた。しかし凄い船着場である

船を下りた横浪からは、山へと向かい――
仏坂峠を越えれば――

須崎の町に着く
さらにもう一つ、焼坂峠を越えて――

たどり着いたのがカツオ一本釣りの町、土佐久礼だ
ここの市場では、その場で魚をさばいてくれる

 

土佐久礼で思わぬ再会

ところで、高知県に入ってから、見知った顔の遍路と一切会わなくなってしまった。私の歩くペースはかなり遅い方だし、しかも高知市では先月の記事を書く為に三泊逗留したのだ。

これまでに会った人たちは、きっと順調にサクサク進み、ずっと先へ行ってしまったのだろうと思っていた。しかしこの久礼において、思わぬ再会が私を待ち構えていた。


ポングたち、フランス人の二人組とまさかの再会

いやぁ、これには驚いた。この二人とは、徳島県最後の札所である薬王寺で挨拶して以降、一度も会っていなかったのだ。なんと14日ぶり、実に二週間ぶりの再会であった。

ちなみに、この時二人は10日間風呂に入っておらず、あまりに臭うので温泉に行くとの事であった。

わずか3分足らず会話をしただけであるが、この時は本当にコミュニケーションの楽しさを感じた。常に誰かと行動を共にするのはうっとうしいけど、見知った遍路が全くいないというのも、寂しいものなんですな。


久礼からは、添蚯蚓(そえみみず)遍路道を行く。凄い名前だ
さらに国道56号線や、それに沿った里道を進んで窪川へ

かつての37番札所である高岡神社に寄りつつ――
現在の37番札所である岩本寺に到着

本来、37番札所は高岡神社の別当寺(神社に付随する寺院)の福円満寺であった。しかし明治時代に入ると、神社と寺院を分ける神仏分離令が出されて福円満寺は廃止。その後現在の地、岩本寺という名で復興したのだ。

四国の霊場は、神仏習合(神と仏は本来同じものであるという考え方)の寺が多く、このような例は数多い。神仏分離が高じて、廃仏毀釈(仏教を排斥する運動)に発展した結果、明治時代に一度廃寺になった寺が多いのである。

四国八十八箇所霊場の寺院は、歴史の割には境内が小さかったり、建物が新しかったりするところが少なくないが、その理由として、この辺に寄る所が大きいのである。へー。


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