ケース3: 丸すぎる杉並区
次の区境はこちらだ。
境界の下側が杉並区、上側が練馬区だ。
なかなか共感を得づらいかもしれないが、川もないのにこんなふうに境界がまるーくなっているのはかなり珍しい。気になるポイントは、右側で、主要な街道である青梅街道から微妙に左にずれてすすんでいることだ。
素直に街道を境界にすればいいのに。ここにはきっと何かあるに違いない。
現場、上井草4丁目交差点
丸い境界部分の東の端、上井草4丁目から北西方向を眺めてみた。
こんなふうに、なかなか不自然に境界線は青梅街道の西側に食い込んでいる。なんだなんだ、いったいそこに何があるの?
突き当たりを右へ伸びる道のあたりがちょうど区境のようだ。そこへ行ってみると、こうなっていた。
これは怪しい。
この裏手感。伸びる雑草。これは川跡なんじゃないの?
先へ進んでみた。
大きな写真をつづけて載せたのは、実際にその道を歩いているような臨場感を感じていただきたかったからです。
ぼくはこのへんで、もう絶対に川跡だろうと確信していた。
さて、区境が青梅街道から本格的に西へ外れていくあたりには、竹下稲荷神社がある。
この先はどう続いていくのかな、と境内の奥のほうを歩いていると、隣の民家の方から、どうしたの?と声をかけられた。確かにカメラ下げて地図を見ながらうろうろしてたら怪しいかと思い、素直に区境の形が面白くて調べてますというと、
「いや、ぼくもつねづねそう思ってたんだよ」
といって勝手口から下りてきてくれた。
ここに家を構えたのは50年前ごろで、そのころ、このブロック塀の手前には、U字型に掘られた溝があったものの、水は流れてなかったという。
すると奥様も下りてきて、水は、さっきみた裏手感満載の道の辺りまでは流れていたという。そして神社をまっすぐ突っ切るような形で、つまりいまの区境が丸く西へそれるのとは違って、もっと青梅街道に並行するようにまっすぐ進んでいたという。
どういうことだろう?
この竹下稲荷神社は、江戸時代にこの辺りにつくられた竹下新田という田んぼの鎮守となっている。そして田んぼに水をひくために、このすぐ北にある千川上水から青梅街道沿いに水を引いていたという記録が残っている。
つまり、奥さんが見た、そしてぼくもさっきみた裏手っぽい道はかつての分水の水路だ。
じゃあ区境が分水から西に丸くそれているのはなぜなんだろう?旦那さんが見たという溝はなんだったんだろう?さらに先に進んでみた。
手がかりがなくなってしまった。田んぼに沿った水路がまるーくなってたんだろうか?
念のため杉並区にも問い合わせてみたが、区ができるまえから村の境界はこの形だったらしく、理由は分からないということだった。
まとめ
へんな区境をめぐってみると、その現場にはやはり何かがあった。でも、ない場合もあった。
ケース1や3のように、水にまつわる境界線は、現場でもその痕跡がわかりやすい。でも、ケース2やケース3の後半のように何か人為で境界を決めたと思われるような場合は、そこにあるのはただの道で、経緯はなんとく想像するしかない。
区境をめぐるとかいってほとんど暗渠めぐりみたいになってしまった今回の記事。取材中、やっぱり川跡はいいな!ということを考えてました。