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土曜ワイド工場
 
理想の空き地を求めて

問題は「空き地感」だ!

そう考えると、くだんの『ドラえもん』におけるエピソードは非常におもしろい。なぜならずっとあそこが空き地のままだったら、それはもはや空き地ではないからだ。

あ そこが空き地であり続けるためには、空き地でなくなる必要がある。そういうジレンマを打破するエピソードとして、あの回は挿話されたのではないか。ドラえ もんの道具の力によって建設が回避されたが「ほんらいここには何かが建つはずだった」「またいつか何かが建つかもしれない」という暗示が生まれ、それがあ の空き地を永遠に空き地たらしめるのだ。すばらしい。さすが藤子先生!

考えすぎですよね。すまん。いや、でもそう考えると面白くない?ない?ないかー。そうかー。


これはもう空き地とは呼べない。いや、呼びたくない。花とかいらない。空き地たるもの、やっぱりどこかこう寒々としていてほしい。おしい。

だから問題はこの「いつか何かが建つ」ということをどう感じるのか、ということなのだ!

…別に問題じゃないですよね。いや、ぼくは真剣だよ。

そこにいずれ何かが建つかどうかは市役所なんかに行けばある程度分かるのだろうが、それより現場で感じる「そこに何か建つ感=空き地感」を大切にしたいとぼくは思うのだ。


空き地・イン・空き地。空き地の中の一角が囲われ、そこも空き地。空き地のマトリョーシカ。末永くこのままでいてもらいたい希有な作品。

空き地の本質は空き地自体にはない!

で、その「空き地感」を生み出すものは何か。

まずはまわりとの関係だ。空き地だけを見ているだけでは空き地鑑賞家としてはまだまだ。空き地の本質はむしろ空き地自体にはない、とすら言える。空即是色、色即是空。そういうことだ。うそ。いますごく適当なこと言った。

たとえばまわりには家がみっちり建っているのにそこだけぽっかり空いている、というケース。これは空き地感が高い。いかにも「ああ、ここにもいずれ家が建つんだろうなー」と思わせる。


いかにも「ああ、ここにはかつて何かが建っていて、そして今後何かが建つんだろうなー」と思わせる周辺環境。立て看板アイテムの存在は意見の分かれるところだ。これが空き地感を醸し出す、という御仁もいらっしゃると思うが、ぼくはこれは野暮だと思う。

しかし個人的にはこの要素だけをもって空き地を感じるのはいかがなものかと思う。

というか「空き地を感じる」ってなによ。いや、それ以前に「個人的には」て。さいしょから個人的だよね。

えーと、どういうことかというと、たとえば下のような長屋的な家屋の並びの中にぽっかりと駐車場。環境的には「いずれここには何かが建つんだろうな。で、いまは一時的に駐車場にしている」と確かに感じる。


上の空き地作品と似た環境だが、こちらは駐車場となっている。環境的には確かに空き地だが、これを空き地と言っていいものか。この「駐車場問題」は空き地鑑賞会において常に議論百出して結論の出ない問題だ。

しかし、だ。これは空き地とは認めたくない!駐車場はだめ!こんなの空き地じゃない!

空き地とは、なんというかこう、茫洋としてなきゃいけないんだよなあ。

それに考えてみたら駐車場は駐車場として「利用されている」わけで。つまりなにが言いたいのかというと、まわりとの関係だけを手がかりに空き地を感じることはできない、ということだ。

というか、みなさんついてきてますか?



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