木登り
のこり2種目、ここから先は昔できなかったというより、「やってみたこともない」の領域だ。
昔から毛虫が苦手なので、虫のいそうな木には触らないようにしていた。だから木登りはやってみたこともないし、やりたいと思ったこともない。これからはビギナーズラックも僕の味方である。
なお、ここからは順番を最後にしてもらった。登り方を見たいとかその場では適当な理由をつけた気がするが、本当は先に登って虫がいたら嫌だからである。
余裕の表情でスルスル登っていく斎藤さん。成功条件は、下から3番目の枝にタッチすることだ。簡単に体を持ち上げ、あっという間に枝の上に乗っかってしまった。
どんどん登っていく。斎藤さんの座っていた枝もサクサクと通り過ぎ、すぐに木の葉の中に隠れてしまった。葉っぱの間から手を振る安藤さん。昔の人はこういうのをみて天狗を思いついたのだろう。
この時点でもう全くできる気がしないが、次は僕の番だ。
木登りこそやったことがないが、これはあれと同じだ。登り棒。当時、なんでこれに登れるのか全然わからず、幼心に非科学的というか、力学的に矛盾があるのではないかとすら感じていた。今も全く同じ気持ちだ。
降りた。その瞬間に、近くで見ていた子供が、大きな声で「えー!」って言った。
周りの大人に、「えへへ」と笑って失敗をごまかしつつ、心の中ではエコーのかかった「えー!」がまだ反響している。あー、そういえば学校の体育の時間ってこんな感じだったな、と思いだす。運動できない奴をとバカにしたがるのって、今の子供も一緒なんだな。自分の中の闇をのぞいた瞬間である。
逆立ちに深まる闇
残るはラスト、逆立ちだ。
悪いことに、さっき「えー」って言った子供たちが周りに集まってきた。これから逆立ちしようとしてる横でなわとび振り回したり、斎藤さんに「できないだろー」って冷やかしを浴びせてみたり、明らかに調子に乗っている。
しかし「できないだろー」といわれた斎藤さんはソツなく成功
頼んでないのに、子供
なにか言いたげに見つめてくるが、何が言いたいかはきかなくてもわかる
僕に対しても、基本「おもちゃ」扱いのスタンスで接してくる子供たち。しまいには木の皮を投げつけてくる。なんだその攻撃。鹿か。
交差跳びのところで僕はこう書いた。「失敗したところで、そもそもなんの努力もしてないわけだから悔しくもない。」しかしこれは「子供にからかわれない」という条件付きである。うっかりのぞいた自分の中の闇、学校での体育の記憶が、どんどん広がってくる。わりと本気でテンション下がってきた。
その時、救いの手をさしのべてくれたのは安藤さんであった。
「脚、持ちますよ」
よろしくお願いします(念のため言っとくけど土下座ではなくて逆立ち準備)
できたらできたで、それはそれで辛くてすぐに下ろしてもらった。なんていうかもう、根本的に運動は向いてないんだな、と思いました。
「昔は僕は運動が苦手だと思ってたけど、今となっては意外とそうでもないな」というようなことをここに書くつもりだった。しかし実際やってみると、やっぱり当時の苦い記憶がよみがえる結果となった。
しかし当時と違うのは、周囲がみんな大人だ、ということである。ちょっとくらい運動ができなくてもバカにしたりすることなく、手を貸してくれるし、撮影にも最後までつきあってくれる。
大人になるってすばらしいことだ。