やみくもにさがすぞコノヤロー
さて、ここにきてガゼン焦りがでてきたぼくは、手頃な川をみつけるたびに、下におりて石をめくりだした。
やはり雨のせいだろうか。水が多く流れがはやい。
めくった途端に、石の下を水が洗ってしまう。ダメだ。もっと穏やかな流れのところでないとなにもみつけられない。
ところで記事を書いていて、なんだかものすごいデジャヴュにとらわれた。あれと思って昔の写真をみてみたら、
着ているものも状況もほとんど同じである。去年はなにをしていたかというと、やっぱりひたすら石をめくってプラナリアをさがしていた。なんだ、年に1回の発作か。 あのときはなんとかみつけることができたが、今回はどうなのか。もしプラナリアしかみつからなかったら、ここからは去年の原稿をコピペしたらいいのではないか。
コピペじゃないよ
用水路的な場所にも生き物はけっこういる。さがしてみよう。
入るわけにはいかないけれど、田んぼの様子も覗いてみたい。
いるのはアメンボだけだ。
川をたどったら鍾乳洞に
川沿いの道を適当に進んでいたら、「内間木洞」という案内板があるのをみつけた。名前は知っているがいったことはない。年に2回くらいしか一般公開されない鍾乳洞だ。川は洞窟のほうへとつづいている(というか、洞窟のほうから流れてくる)。生き物をさがすついでに立ち寄ってみることにした。
3つならんだ鳥居の先にぽっかりと口を開けた洞窟。怖すぎる。なんだか普通に入っていけちゃいそうなんですけど、大丈夫でしょうか。いや、逆に「どうぞ」と言われてもためらうけど。
入っちゃいけないだろうし、入っていいよと言われてもこのくらいが限界の雰囲気だ。 洞窟の説明があったのでみてみると、
内部はかなり広いらしい。場所場所で名前がつけられているのだが、
もう少し怖くない名称はなかったのか
いや、洞窟コネタを発見している場合ではない。生き物をさがさねば。 すぐそばを川が流れている。もちろん相当の上流域。どちらかといえばそれが目的でここまでやってきたのだ。
あ、あかん……流れがはやすぎですぞなもし(註:岩手の方言ではありません)。やはり昨夜の雨が響いている。これは、ダメかもしれん。俺の心があきらめホールだぜ。
最後の川へ
日も傾いてきた。そろそろ成果がほしいところだ。川遊びは1日かけて充分に満喫した。ここらへんで、なにか生き物プリーズ。
川巾がひろく水が浅い。流れがゆっくりで淀みもある。こういうところになにかいるのではないか。
石をめくっても、みつかるのは小さな虫ばかり。
砂地をすくえばまたもオタマジャクシ。とはいえこの状況では心の救いだ。そして大量のオタマジャクシを手にし、はっと気づく。もしかして要するに、川で生き物をさがすには、時期がはやすぎたのではないのか。 いやだって、寒いもん。
サンショウウオとか、ぜんぜん育っていないんじゃないの。いや、もしかしたらこのオタマジャクシ自体、サンショウウオの幼生かもよ。どうする俺? 言い張っちゃう? これサンショウウオですって言い張っちゃう!?
いろいろと弁明を考えながら川をふらふらと歩いていたぼく。肩を落としてしゃがみこみ、1枚の大きな石をめくったとき、そいつがいた。
そのとき、ぼくは冷静になるべきだったのだ。だったのだが、焦ってしまった。やっと巡り合えたそいつをまえに、興奮してしまったのだ。 カメラを呼んで撮影するより先に、手が伸びてしまった。そして、
……逃げられてしまった。たしかに小さなサンショウウオだった。身体つきからして、まだ大人になりきってはいないと思う。それからは、近くを必死に捜索してみたが、二度とその姿をみることができなかった。どこかに流れていってしまったのだろう。
というわけで、残念ながらみなさんにサンショウウオの姿をおみせすることができない。ここまで読んでいただいたのに、たいへん申し訳ない。せめてカニの一匹でもと思っていたのだが。 お詫びといってはなんだが、最後にぼくがみたサンショウウオ(多分)をイラストに描いてみたのでご覧いただきたい。こんなのでした。
お詫びとかいいながら、バカにしてるみたいになってるんじゃないかと、ちょっと案じてます。
なにを勘違いしたのか、冷たい雨の降る中で、あまりにもはやく羽化してしまったセミが一匹、葉っぱの上でただただじっとしていた。葉を揺らしても、身動きひとつみせない。彼は、サンショウウオに逃げられた瞬間のぼく以上に途方に暮れていることだろう。せめて明日は晴れるといい。 さて、結論を言えば、川にはサンショウウオがいた。いたけれど、つかまえることができなかった。残念だが、それでよかったという気はしている。 冒頭で、昔サンショウウオをよくつかまえたと書いたが、飼えもしないのに家に持ち帰り、水槽の中でただ死なせてしまっていた。今回も、もしあのサンショウウオをつかまえていたなら、その可愛さに持ち帰ってしまったことだろう。 今も水辺には、子供のころにみたのと同じ生き物をみることができる。それがわかっただけで、よかったと思います。