やはりモチベーションとの戦いに
歩けども歩けどもパリはなし。だってパリじゃないんだもの、ここは天下茶屋なんだもの。そんな弱音が思い浮かぶたび両手で宙をかき。
ああこれは古いラブコメ漫画のようだ。もしかしたらあいつ…いや、そんなまさかないない、といって吹き出しを両手でかき消すのだ。
そのとき私は、天下茶屋に、そしてパリに恋をしていたのかもしれないが、実際の私は両手など何一つ動かしてなかったのでなんにもないだろう。
なんにもない昼下がりであった。
この街にはパリがない
東京に空が無いというが、天下茶屋にパリが無い。おかしい。あるというから来たのである。これでは一体何をしに来たというのか。
背広を着て住宅街を歩き回る。慣れない土地で何度も同じところを通る。二度見た人はセールスマンだと思ってくれただろうか。
世の中のセールスマンのみなさん、本当に申し訳ありませんでした。どこでどう間違ってしまったのか、自分でも分からないのです。
パリ以外のパリはどうか
あまりにも見つからないので考えた。果たしてパリだけがパリたる所以なのだろうか。
花の都、パリだ。エッフェル塔も、パリだ。パリジャンもパリジェンヌもパリだ。パリだけがパリでない。パリの概念を拡張しよう、そしてますますこの記事をわからなくさせよう。
見ようによってはどこでもなんでもパリになる
激安ラーメンが混じっているが、探せばパリはあるものだ。だけども、本当のパリは未だ見つからず。
いや、犬はいるはずなのだ。玄関に貼られた「犬」ステッカーや喫茶店のお母さん情報からもこの辺りに犬は多い、と。
そしてパリ禁止の注意書きだけでもこれだけあったのだ。
こんなにあったパリ禁止看板
やはりパリか?いやちがうのか?
バリエーション豊かな看板が、やはりこの街はパリに悩まされるパリなのだと確信させてくれた。
しかし現実には未だパリがない。お昼になって朝のパリが片付けられたのだろうか?もしくは夕方の散歩時間以降がパリなのだろうか?