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ちしきの金曜日
 
「活弁士」というお仕事

一般的にはこんなイメージ。

 活動弁士、略して活弁士という仕事をご存じだろうか?サイレント映画の内容を舞台の袖から語りで説明、解説してくれる職業だ。サイレント映画の存在自体いまや知るきっかけが少ないだけに、生で見たことがない人がほとんどだろう。見た事があってもお勉強な機会だったりしてあまり好印象でなかったりするかもしれない。

しかし、活弁士の声は興味のないアナタもここあそこで実は聞いてるかもしれない。いや、実際に見たり聞いたりする機会は増えてるのです。どこで?そもそもどこにいるの?てな疑問もおありでしょう。そんな活弁士の方とお知り合いになれたので、活弁士の今、そもそも今なろうと思ったきっかけって?などいろいろ聞いてみました。

大坪ケムタ



やっぱり子供の頃からオールド日本好き

活弁士+サイレント映画の全盛はやはり戦前。戦後に公開される映画はほぼトーキー映画となったので、リアルタイムでその全盛期を見てる人というと80歳以上になるだろうか。それ以降の年代というと何となくのイメージはあっても実際見たり聞いたりした人は少なかろう。

とはいえ今はありがたいことにYoutubeなんかで雰囲気は掴むことが出来る。ということでこちらとかこちらを参考までにご覧ください。

それで今回お話をうかがった活弁士は坂本頼光さん、若干29歳。29という歳は特に若いわけではないけども、この職業を考えれば若い。

いただいた芸人らしい宣材風写真。

坂本さんと知り合うきっかけになったのが、自分もレギュラーで出ているさる映像イベント。そのゲストで坂本さんが招かれていたのだけどその映像を見て、まー驚いた!最初に「活弁とは」という意味をこめて上映されたのが、戦前の作品『血煙高田馬場』(伊藤大輔監督、大河内伝次郎主演)。

会場は違いますがこんな感じ。

リズミカルかつスピーディな口調で映画を盛り上げる坂本さんの語りは「話術」ではなく立派な「話芸」。なんたって声がライブなのがいい。その言い回しは懐かしいというより新鮮。

そしてさらに会場をドッカンと沸かせたのが、続けて上映された坂本さん自ら制作しているというアニメ、その名も「サザザさん」。もちろん声は坂本さん。これがもひとつ凄かった!

写真を見ただけでは
とうてい活弁には見えませんが。

 

話芸だけに記事だけで紹介するのには限界があるんですが、幸いにも同作はYoutubeにあげられているのでそちらをご覧ください。まぁ気になる所はいろいろあると思いますが‥とりあえずサラリと流しておきましょう。見れば分かる。個人的にはタマのような白猫が好きです。

声優のようだけどひとり芸。落語のようだけど映像付き。役者のようだけど解説もやる。他の芸人や役者とも違う面白さを感じる活弁士という職業。まずはその現状についてからうかがってみました。

−−今活弁士って日本に何人くらいいるんですか?

「いちおうwikipediaによれば14人らしいですよ」

−−本業なのにwikiで確認ですか(笑)。

「協会とかないんで正確にはわかんないんですよ。でも、コンスタントに活動しているのは、三分の二くらいじゃないですかねぇ。山崎バニラさん(『ドラえもん』のジャイ子など声優でも活躍中)みたいに、バラエティ番組を中心に活動している人もいますしね」

−−坂本さんや山崎さん、あと山田広野さん(活弁士・映画監督)などがメディアに出る機会が増えて「活弁士」って名前を見る機会は増えた気がしますね。

「僕が活弁に興味を持った頃は、弁士は全国で一人、二人という状態だったんですけれどね。第一人者が澤登翠さんという女性の方で」

−−最初に関心持ったのはどこかで見て?

「中学2年の時に『映画鑑賞教室』というのがあって、チャップリンの『キッド』を活弁付きで観たんですよ。感動しました。映画自体も非常に面白かったですが、その面白さをより解り易く観客に伝えてくれるのが活弁士なんだな、と」

−−子供ながらにそんな視点で。

「ちょっとヒネたところがあって。当時から映画は好きでしたけれど、監督とか主役俳優のようなポジションには憧れない。縁の下の力持ち的ポジションに惹かれるんです。メインじゃないけれど、その人がいないと成り立たない。無声映画の分野で言えばまあ、活弁士がそれだと思うんですね」
−−子供ながらに格好良いスタンスだなぁ、と。

「その体験がきっかけで、林海象監督の映画『夢見るように眠りたい』を観ました。劇中に松田春翠さんという、澤登さんの師匠にあたる方の活弁シーンがあって、またビビッと来ちゃって。時代がかった口調がとても格好良く感じられたんです。活弁士、いいなぁ!と。しかしその時はまだ、職業にしようとまでは考えていませんでした」

もともと子供のころからジャンプ世代というのに水木しげるの漫画にドップリハマってたり、家に帰ると祖父母と一緒に時代劇や古い映画を見てたという坂本さん。「うーん。ヘンな子。ちょっとイヤな子でした。当時『三丁目の夕日』の映画をやっていたら、下手すりゃハマったかもしれない。今じゃ全然ハマらないけれど。あんなわざとらしい映画(笑)」と当時を振り返る。

水木漫画にしろ、当時やってたアニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』よりも「小1の時お年玉で買った『貸本漫画傑作選』のタッチが子供心に好きでしたねぇ」というから、芯からそういう時代のテイストが好きだったんでしょう。アニメ版についても「観てはいました。でも、夢子ちゃんみたいなポッと出の子が目立っているのがイヤで。鬼太郎のガールフレンドは猫娘だけでいいじゃないですか!」夢子ちゃんを「ポッと出」扱いする子供は
そうはいない。

ちなみに当時友達は?と聞いてみると「少なかった(笑)。趣味で合う友達はいなかったですね」。そりゃ周りはかめはめ波とかスーパーサイヤ人4とか盛り上がったりしてる頃だろうし。

ともかく水木しげる→古い日本映画とハマり続けた坂本少年に訪れた転機は高校2年の時。趣味も人間関係も深く狭くなり続けた時に決定的な事件が訪れる。

「もう登校拒否になりかけていた高校2年の時、修学旅行で沖縄に行くことになったんですよ。どうにも行きたくなくて……」

−−日陰っぽいの好きですからねぇ。そんな太陽サンサンな所連れて行かれても、と。

「そんな折も折、フランキー堺が亡くなったんですよ!駅前シリーズとか『幕末太陽傳』とか、ファンだったんですよね。そしたらその葬式が旅行の当日!……それで葬式の方に行ったんです」

−−葬式を取りましたか、沖縄より。

「そんな事したらね。同級生にだって見限られちゃいますよ、そんなヤツと仲良くしてもしょうがないって。それで高校中退。ワガママ勝手ばかり通して、家族には迷惑をかけました。おまけにこの時点で、なりたいと思える仕事はもう、活弁士しかなかった」

−−それにしても17歳で活弁士になろう!とよく思いましたねえ。

「熱望したという訳じゃなく、他の職業に興味が湧かなかったんです」

当時池袋などで行われていた活弁の会などに通ってはいたものの直接のツテはなし。そこで坂本少年はどうしたか?17歳と思えぬ直接的行動は次のページで!

今は人付き合いも好き(でも微妙にいかがわしい)好青年です

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