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ロマンの木曜日
 
叩きまくるという調理法

見た目が野生

同じ条件で、切ったもの、叩いたものとで鍋を分けて煮た結果がこれである。

洗練されてる感じ。
あんまり頭がよろしくない感じ。

言うまでもないことだが、右が叩いたゴボウとレンコンだ。「今日は特別にフランケンシュタインが作りました」みたいな、力任せの煮物になった。

でもこういうの、私は嫌いじゃないですよ。


エッジが立ってる。
エッジってなに?
表面がツルツルしてるので掴みにくい。
好きなだけ掴める。

切った野菜からは「わたくしゴボウと申します」とか「レンコンと申す者です」といった自己主張が感じられたが、叩いた方からは「えーと、世間様からはゴボウとかレンコンとか呼ばれているようです」程度の主張しか感じられなかった。

何が言いたいのかというと、つまり全体的に味が優しいのだ。さすがはフランケンシュタインが作っただけのことはある。


ささがきしてないのに、先がこんな風になってるし。

叩かれて繊維が破壊されたのか、大きな塊もホクッと口の中で崩れてくれて、これがとてもいい。今回のように「叩いただけ!」という乱暴なやり方じゃなくても「ちょっと叩いたら後は包丁で」みたいなやり方で作れば、ゴボウもレンコンもおいしく食べられるということが分かった。っていうか、もう分かってますか。


もういっちょ。

しかしいいのだろうか。今日叩いたのはキュウリとゴボウとレンコンと肉だ。どれもこれも叩くことでおいしさが約束されたものばかりじゃないか。

このままでは終われない…と不安に駆られて冷蔵庫を覗くと、ありましたよ。とてつもなく固い野菜が。


この固さは、野菜という域を超えていると思う。
包丁を入れるのが唯一恐ろしい野菜と言ってもいい。

一度でもカボチャを切ったことのある人なら同意してくれるハズだ。包丁を入れた後の、あのにっちもさっちも行かないイヤな感覚を。

電子レンジでチンすれば切りやすくなるらしいが、それは何となく「負け」を認めた気がして好きじゃない。いったん火を入れば一気に柔らかくなるのは承知しているが、その前に何か工夫はできないものか。

というわけで、叩けばなんとかなるかもしれない…という一縷の望みをかけて、さぁ叩こうぞ!


ゴン!ゴン!ゴン!ゴン!
…あまりのうるささに、膝の上に乗せました。


「あそこの部屋、釘でも打ってるんじゃないの」と言われかねないほどの大きな音にビビリ、まな板を膝の上に乗せたほど、それはもう盛大な音がした。

で、叩いても叩いても、なんの変化もありません。「マグカップごときでは、どうにもならない固さの野菜もある」ということがあっさり分かったところで、今日はお開きとさせてください。



野菜(肉にも)に歴史あり

叩いていいもの悪いもの、それぞれに試行錯誤を繰り返し、石器時代から学習に学習を重ねた結果が現在なのだ。ご先祖さまはエライのだ。

そういうことをうっかり忘れて、たまに無駄なことに精を出すのも人間という存在なのだろう。

そして今日も愚かな私は「他に何か叩いておいしくなりそうな食材はないものか」と徒労に終わりそうなことをくり返し、喜んだり哀しんだりしているのです。それが人類なのです。

どうやって終わればいいのか分からなくて、やたら大きく出てしまいました。

愚か者はカボチャを煮溶かす始末。あとでポタージュにでもしよう。もうどっちを叩いたのかすら忘れてます。

 
 
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