まずは、普通に
釜めしの掛け紙に「この容器で1合分のごはんが炊けます」と書いてあるのを発見した。ほほう。二次利用を販売元自らが認めてくれているのか!
よしよし、とばかりにさっそく米を炊いてみることにした。一合といえば、普通の人なら一食分の分量だ。ちょうどいい。
駅弁の釜めしは別に炊き上げたごはんを入れているらしい。かたや、こちらは本当に釜で炊いている。理屈でいえば、こっちの方が本当の“釜めし”だと思うのだがどうだろうか。強気に出すぎたか。
ちなみに、この容器は益子焼きだそうですよ。
何度も土鍋でごはんを炊いているというのに、それとはまた違った感動があった。なんたって量がちんまりしてて、妙に可愛らしいのだ。
しかも、私好みのちょっと固めに炊けてある。うん。これはいい。普通の鍋で炊くより雰囲気があって、なんだか有難みが増した気がするから不思議だ。
出かけよう
釜めしとはいえ、元はといえば弁当だ。家で食べる弁当も趣が違って楽しいものだが、やっぱり弁当は外で食べてこそ、だろう。
この日は平日だったので、昼食用に弁当を持って行くことにした。容器は、もちろん釜である。
しかし、これほどまでにいろいろと説明が面倒くさい弁当があるだろうか。会社の人は私がライターをしていることをほとんど知らないので、この弁当を見られたらアウトだ。いや、アウトじゃないが、かなり困った状況になることは必至だ。
「わ、高瀬さん、なんですかその弁当!」 「え? いやぁ、えーと、えへへへへ」
作り笑いで場を逃れようとしている自分の姿が目に浮かぶ。そんなわけで、公園へとやってきた。
弁当自体はおいしい。しかし、だ。やはりネックになるのは中味よりも釜の重さであった。
いつも以上に肩に食い込むカバンを持っての出勤。食べ終わったところで一気に軽くなるわけでもなく、カバンは相変わらず重い。すごく重い。
この容器、捨ててこようと思えば捨てられなくもないのだが、それが出来ない“何か”がある。「まだ使えるはずだ」とか「もったいない」といった、何かが。
ちなみにこの日は終業後に飲み会があったのだが、釜の入ったカバンを抱えての移動は大変だった。よっぽど捨てて帰ろうか、と思ったくらいだ。
外はやめよう
車の人ならいいのかもしれないが、電車での移動を常としている私には、釜と一緒の行動は無理があった。
そこで、次は屋内で、釜の特性を生かした使い方をしてみたい。
そう、石焼きビビンパもどきを作ってみた。
陶器の釜は石釜ほどには高温にならないだろうが、火にかけながら混ぜたらジュージューいってくれるんじゃないか? せっかくの釜だもの。“火にかけられる容器”だと思えば、使用方法も一気に広がろうというものだ。
黄身がしっかり加熱されて、周りの食材に絡みまくっている。火にかけっ放しだから、ごはんも熱々だ。
釜いっぱいに具を乗せてしまったので、混ぜる時に大量にこぼした以外は全てうまくいった。
決定打はあるのか
なんだか、たいした利用方法をご紹介できなかったようで申し訳ない。夏休みからこっち、ずーっと釜のことを考えてはいたのだが、たいしたアイデアが思い浮かばなかった。
つきましては「我が家ではこうして使っている」「私はこれに利用している」といった例がございましたら、ご一報いただけませんでしょうか。
なんせ今回の記事で釜が2個に増えてしまいまして、捨てるに捨てられず困っておるのです。どうぞよろしくお願いします。
販売元の「おぎのや」さんに持っていくと、引き取ってくれるそうですが。それはそれで悔しいのです。