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「トーストを両手に持つとダメになる」に関する考察

 

 

考察・両手で持つとダメになるか?

今回の「両手で持つとダメになる」仮説検証実験の結果、

「欲求が、様式が持つ抑止力を超えてしまう」場合に、著しいダメさが確認された。

例 おにぎりを両手に持つという行為は、「両手で食べるのは行儀が悪い」という様式の拘束力が、食欲に打ち勝てなくなったことをあらわす。そのためダメな感じが増大する。

ということである。解説していこう。

★両手に持つということ

「両手に持つ」こととは機能面での強化である。おにぎりならより満腹になるし、銃ならより殺傷能力が上がる。より合理的になるといってもいいだろう。

ならば全て両手に持てばいいのではないか?という話になるがそうはいかない。我々の行動には全て「様式」というものが存在する。

★様式とは

様式とは「こうあるべき」「こういう風にするのが自然」という我々の文化が苦労して作り上げていった形式である。

そして「かっこいい」の判断も全てこの様式に基づいている。
様式にあてはまったとき、「こうあるべき」形になったとき、人はかっこいいを口に出す。あてはまらない場合はかっこよくないと言うのだ。あてはまる/あてはまらない、と様式は行動を拘束する力がある。

そして様式の拘束力はモノそれぞれによって違う。
今回の実験で代表的なものとして取り上げたいのは「食べ物・道具・武器」だ。

★欲求が様式を超えるとダメになる

様式にあてはまらない場合「かっこよくない」となる。しかし今回の実験では「ダメである」となったのはなぜだろう?

ダメとは人間の弱さである。人間の弱さが露呈したときに、「ダメだ」と評価される。
今回は両手持ちによる「2つ食べたい」という欲求が人間の弱さとなって「ダメ」に見えたのだ。

しかし様式はモノ、行動に全て存在し、話は簡単ではないので、個々の事例を見ていこう。

●食べ物の様式=お行儀

今回の実験で安定して顕著なダメさだったのが、食べ物(バナナ、おにぎり、ゼリー)。
食べ物には「お行儀」という言葉に代表されるような明らかなルール、強い様式がある。

それはなぜかというと、私たちの生活に毎日登場するからであって、文化が毎日叩き上げ洗練させてきたものだからだ。今日もどこかで食べ物を手で食べる子供を親が叱っているのだ、と想像すれば食事のお行儀の洗練され具合が理解しやすいだろう。

食べ物を両手に持つということを図にすると下図のようなものになる。

ここでは耳かきも加えた。「耳をかきたい」という欲求は身体的かつ日常的であるがため、(見た目の)欲求が強いように思われる。

●道具の様式=使い方

もちろん道具にも「お作法」と呼ばれる、文化的な洗練を経て強い拘束力を持ったものもある。
ここでいう道具はもっと平たいもの、例えばほうきを想像していただきたい。
ほうきの様式とは使い方であり、「柄を上に持ち、振り子運動で下のはけを動かして、ゴミを集めていく」ことである。

食べ物や耳かきなどの身体的欲求に比べ、道具に見られる欲求は(見た目に)弱い。図でも小さい値とさせていただいた。

ほうきを両手に持つとゴミを集められない、すなわち結果が「ゼロ」になり、「欲張ったために掃除ができなかった」というダメさが存在するのだ。上の図でいうところの黄色の線の上に出た「ダメ」と、緑色で示された結果の無さの「ダメ」が乗算的にダメの総和として見受けられる。

●道具の様式−2

ほうきや携帯は両手に持つと結果が出なくなった。しかし、包丁の例など、両手に持ってうまくいくものも存在するはずだ。

黄色の様式ラインの上にはみ出た「5分で終わらせたい」という気持ちは「欲張り」「手抜き」に代表されるようなダメさを含む。
しかし今回は結果を伴っている。
道具の様式の拘束力は食べ物の「お行儀」に比べて弱い。
そして道具の様式、「使い方」とは結果を求めての様式であることから、結果を伴った場合には「欲張り」のダメさは容認される。

包丁2本使いの料理人はそういう様式(使い方)もあると認知されているので「かっこよい」とされる。
両手持ちの様式が確立されていない場合でも道具においては、少なくとも「ダメではない」と容認されるのだ。

●武器型

武器については特殊である。しかし両手持ちというと、宮本武蔵の二刀流や、映画内における銃の両手持ちが真っ先に思い浮かんだほどポピュラーである。

武器の様式について考えてみても思い浮かばない。
「銃口を人に向けるな」なるほどこれは様式だろう。しかしそれは銃社会の国で確立された様式であり、映画内で見受けられるようなフィクションといえるほど現実味のない様式である。

そして欲求が様式を超える図も、道具が成功した図とほぼ同様である。
様式のラインがほとんど確立されていないため、欲求はいくらでもラインを超えていい。

しかしここでいう欲求とは「人を殺したい」ということだ。これは現実的でない。ゼロだといってもいいだろう。
武器においては欲求は絵空事となり、様式のラインを超える超えないの前に、問題となることはまずないのだ。

★最後に

駆け足で4つに分類して見てきたが、これ以外にも「花」はどうなんだろう?「万華鏡」はどうなんだろう?とまだまだ未整理の事例は存在するように思われる。

花は、このるつぼダンスのように、ダメではなくてバカと言ったほうがよい。見た目の欲求、「あなたは花を両手に持ってますけどどうしたいのですか?何をするつもりですか?」が不可解であることがバカでありおもしろいのだ。

そして万華鏡はいい大人が「きれいな世界を見たい」という欲求を持っていることに、ダメさがある。物自体のダメさが両手によって増幅されたものなので、今回の考察と混同されやすいが一線を画すものだと思われる。

最後の最後で気づいたが、今回の実験はただパンを持って走り回りたかっただけなのだ。
こんなことを真剣に考えて夜を明かすつもりではなかったのだ。

モノの文化的様式、ダメの概念、かっこいい/かっこよくないの二元論においても、専門的な人類学的考察を加えてみてもおもしろいかもしれないが、後はもう暇な学生さん、あんたがやってくれ。

(なお本論に参考文献などは存在せず、全て勘で話が進んでいることも考慮されたし。)

こういうことがしたかっただけなのだ。

 

 



 

 
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