●曖昧なガンダムを無理やりイメージ
ガンダムに夢中になったことのある世代なら具体的なイメージも描けるだろうが、そうではない人たちの場合は一体どんなことを考えるのだろうか。
高齢ゆえの非ガンダム世代として、実家に帰った折に両親に聞いてみた。まずは父からだ。
ちょっと困った表情、といったところだろうか。「急にガンダムって言われてもなあ…」とつぶやきながら、それでも一生懸命におぼろげなガンダムをイメージしていたようだ。
シンプルな姿だが、妥当なイメージだとは思う。
場合によってはガンダムが何なのかわからないということもあり得るかと思っていたが、ちゃんと人型のロボットということは知っていたようだ。
続いては母だ。
「私だってガンダムくらい知ってるよ」と言いながらガンダムを考える母。かすかに苦悩の影が見える。
本当にガンダムのことを考えられているのだろうか。
ジェスチャーと擬音を取り入れながら自分なりのガンダムを説明する母。なぜだか笑顔、さらにこのあと笑いながら机にうつぶせてしまった。
ガンダムのことを考えて笑い出す母。ガンダムが好きとかどうとかとは関係ない原因不明の笑顔だが、楽しいならまあそれでいいとも思う。
両親とは逆に、年齢が低すぎてガンダムのことを知らない世代というのもまたある。ガンダムを知らない子供たちだ。それが何かを知らないで聞く「ガンダム」。
一体どんなことを思うのだろうか。この記事の始めにも登場した斎藤さんにはお嬢さん(保育園児)がいらっしゃる。お願いしたところ、聞いてみてくださった。
元気な保育園児ということで、ここでは「みかん─ガンダム法」を採用。どうだろう、どちらの写真もかわいらしいが、特にガンダム顔は好奇心に満ちている。
「ん?ガンダム?」といった様子にも見える。ガンダムという言葉の響きを純粋に受け止め、どんなことを考えたのだろう。斎藤さんが聞いてくれた。
既製のガンダム観を打ち砕く子供の想像力。
ゾウの写真を見ながら、「これはガンダムだ」と自分に言い聞かせる。すでにガンダム刷り込み済みの大人でも、粘り強く念じれば、そうした瞬間が訪れるかもしれない。
…やっぱり無理か。
3分くらい見つめたところで自分の限界を確認。そこまで自由にはなれない。大人の分別も子供の自由さも、それぞれに価値があるものだと思う。
●人それぞれの心にあるガンダム
ガンダムについて考える人たちを追った今回の試み。記事をお読みの方も、時には目をつぶり、ガンダムについて考えてみてはいかがだろうか。
やっぱりゾウは出てこないよね。
自由な発想というのも大切だし、物には名前があるということも大切だ。それはどちらが優位ということではない。
もし心の中でガンダムを考えてみて、思いのほか真剣味が出てきたなら、人生のここぞという場面でガンダムを思い浮かべて自分を演出するのもよいかと思う。