続いて紹介するのは、緑モリモリの中にひっそりとたたずむ、孤立系のつり橋だ。
ボルトのさび具合など、年季が入った物件だということがなんとなくわかるつり橋。スケルトン度合いにも申し分がない。いや、そうじゃなくて、もう少しスケルトンじゃない感じにしていただけないだろうか。
怖気づく私だが、衝撃的な看板が目に入った。
老朽化のためなのだろうか、通行禁止の看板が掲げられているのだ。怖くなりすぎてしまい、オフィシャルにNGを出されてしまった形のつり橋と言える。
ともあれ、これで堂々と渡らなくていい。写真の私の表情にも、安堵のようなものが見て取れるから不思議だ。
とはいえこれでつり橋めぐりが終わったわけではない。さらなるつり橋を目指す。
木々に囲まれた山深いつり橋に、見慣れない頭身比率の生き物がいると森の妖精に見えるかもしれない。そんな童話チックな想像も思い浮かぶかもしれないが、残念ながら私だ。
手すりの低さ、スケスケ度、古び具合、いずれも高得点のつり橋だが、つり橋感覚が麻痺してきたのか、もうそんなことも普通に感じられるようになってきている。
だいぶつり橋にも慣れてきたのか、つり橋上でのふるまいにも余裕が感じられるようになってきた。変にはしゃいだり、必要以上に怖がったりしなければつり橋は楽しいものなのだ。
ただ、よくよく見ると、つり橋のすぐそばに不穏とも取れる看板があった。
ハンターのみなさんに、珍しい生き物だと思われて撃たれてしまうのではないか。つり橋本来の怖さとは関係ない、そんな怖さが湧いてくる。
そんな風に思い出すと、足早につり橋を後にしたくなる。撃たれないうちに次を目指す。
いろんな意味で、読んでいる方も目が慣れてきた頃だと思う。私もつり橋や清流を回っているうちにすっかりそれが普通になってしまったようで、無表情になってしまっている。
このつり橋、初めに紹介したものと同様に車道をまたぐように架けられているタイプのものだ。
慣れてきたとは言うものの、自然の中でつり橋を渡るとやはり開放感がある。
有名な観光スポットにとらわれない、自分ならではの視点で旅をするのもいいものだと思う。そして言ったそばから、なんか説得力がないなと自分で思う。
●ある意味おしのび旅行
「旅の恥はかき捨て」ということわざがある。私が今回取材をして、記事を書き終えたときに思いついたのはそんな古くからある警句だった。
いや、もしかしたら別に恥なんてかいてないかもしれない。常に人目につかないようこそこそと行動していたからだ。
いろんなバリエーションで私を怖がらせてくれたつり橋たち。たまにおかしな旅人が訪れることもあるかもしれないが、これからもひっそりとたたずんでいてほしい。