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特集


ちしきの金曜日
 
自分の姓をさかのぼる
まだ見ぬご先祖さまへ

ぼくの名字はめずらしい。

いままでに家族以外で三土さんにお会いしたことは一度もない。ウェブで検索しても、数人の三土さんがひっかかるだけだ。

いったい、このめずらしい姓を持つご先祖さまはどこからやってきたんだろう。そしてそもそも「三土」という姓は何に由来するのか。

お盆には先祖の霊が帰るともいうし、たまに自分のご先祖さまのことを考えてみるのも悪くなさそうだ。

自分の姓のルーツを遡ってみました。

(text by 三土たつお

父正則と母トミ。資料などを調べてくれました。

まずは両親に話をきく

ぼくに一番ちかいご先祖さまは、いうまでもなく両親だ。そして三土姓は父親の姓になる。

父親は四国の香川県坂出市の出身で、昔は香川県には三土という名前の人が大勢いたらしい。

三土姓は香川県の発祥なんだろうか。

 

親のこと、知りませんでした。

さらにおじいさんの話を聞かせてもらった。

ただし、おじいさんの話をしていると、自然と若い頃の父親自身の話にも触れることになる。父親は小学生のころに戦時中の満州に渡り、終戦とともに日本へ戻ってきたらしい。

ふだんこうやって話をきくことなんてあまりないので、話を聞いていると、じつは父親や祖父のことを全然知らなかったということに気づく。


大学生時代。左が父親。劇団ひとりに似てる。

 

そしておじいさんのこと

おじいさんは忠蔵さんという人で、40歳のころに家族を連れて満州にわたり、一旗揚げようとしたらしい。


右側がおじいさん。亡くなる数年前です。

ただし、42歳のときに兵隊としてかりだされ、そのまま戦地で亡くなった。ぼくの父親はそのとき小学6年生だったとのこと。

その後父親はおばあさんに育ててもらいながら大学に入り、東京で母親と知り合ったらしい。そのあたりのいきさつはあまり想像したくないけれど、訊けばまあいろいろあるんでしょう。

 

記憶で分かることはそこまで

忠蔵のお父さんにあたる人は誰かときいたところ、知らないとのこと。えー。

自分のおじいさんの名前くらい知ってようよ、と言いたかったけれど、それはまさにさっきまでのぼくのことだったので、何も言えなかった。

父子そろって刹那的に過ぎるような気がする。

 

保管されていた除籍謄本。古文書みたい。

さらに戸籍をしらべてゆく

忠蔵さんより前の人について調べるためには、戸籍をみていく必要がある。

お役所に請求すると、除籍謄本(亡くなった人の戸籍の資料)というものをもらうことができるらしい、ということは調べておいたのだけど、きいてみるとだいぶ前に母親がすでに坂出市役所に請求ずみらしい。

引き出しの奥の方からそのときの資料をひっぱりだしてきてくれた。ありがたいことです。

戸籍に記載された「平民」の文字。かなりのインパクト。

叔父と伯父って違うんだー、といった一般常識をはじめて学びながら、すこしつづ戸籍を読んでいく。

だいぶ時間をかけて、ようやく5代前までの三土の家系図をつくることができた。

 

かんたんな家系図ができた

戸籍から辿ることの出来たもっとも古いご先祖さまは、三土助三郎さんという人だった。

生年月日は書かれていないけれど、息子の信太郎さんが1847年生まれらしいので、だいたい1820年くらいだろうか。

住所は香川県綾歌郡とあり、調べてみるといまの香川県坂出市のあたりそのものだ。三土さんは1800年頃からずっと坂出に住んでいたらしい。


戸籍から分かる限りの、三土姓だけを辿った家系図。左が夫、右が妻。

 

三土姓の由来が知りたい

助三郎さんより前の三土さんはどこにいたんだろう。最初から坂出に住んでいたのか。

そしてもう一つ。そもそも三土ってどんな意味なんだ。

これが田中さんなら、田んぼの真ん中に住んでいたのかな、などと、あてずっぽうでもなんとなく推測することはできる。そこへいくと三土は三つの土だ。何のことやらさっぱり分からない。

調べてみると、あらゆる姓名に関する辞典のような本が国会図書館にあるらしい。行って調べてみることにしました。



 

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