人間の想像力ってすばらしい。胸躍る冒険物語に夢中になったことは誰にもあるだろうし、科学技術の発達にだって根本には進歩を夢見る想像力があったはずだ。
しかし、そういう輝きとは逆の想像力というのもある。例えば右の写真はどうだろう、一部を隠したことでよからぬ何かを感じはしないだろうか。
どうにもあやしい。そこには何かを隠したことで勝手に見えてくるものがある。
今回はすばらしくない方の想像力をむやみにかきたててみます。
(text by 小野法師丸)
●隠すという衝動
隠れているから見たい。見えないものだから見たい。始めから見えてるものだけじゃもう満足できない。よくわからない衝動を書いているうちにずいぶんテンションがあがってきてしまった感があるが、そういう気持ちというのは誰にも多かれ少なかれあるのではないかと思う。
ならば始めから見えているものでも隠してしまえばいいのではないか。意味があるのかどうかわからない逆転の発想だ。
隠すというとやはり似合う色は黒だろうか。今回は紙や布などを用意してみた。むやみに隠してみることで、何が見えてくるのかを検証したい。
さっそく自分を実験台にして実践してみよう。ポロシャツに短パン姿、ごく普通の服装を隠蔽してみる。
まずはベーシックに短パン部分を隠す。どうだろう、まだ普通に「黒い紙を持った人」という感じだろうか。日常生活の場面としても、ぎりぎりあり得ないとは言い切れないくらいの状況か。
中には早くも想像力が走り出している方もいるのかもしれない。念を押しておきたいと思うが、あくまで短パンは履いている。
しかし、目を黒いガムテープで隠すと一気にプレイっぽさが漂ってくる。やばい。
もう日常生活の一場面とは主張できない状態になってしまっている。普段からこういう生活を送っている人はいないだろう。何かのゲームか、そういうプレイか、ユニークな人か。何かしらの言葉で理由をつけたくなりはしないだろうか。
下半身を隠している黒い紙もここに来て隠蔽感が急に出てきた感じがする。
さらにシャツを脱いでしまうと完全にアウトだ。シャツしか脱いでいないというのに、通報されかねない感じの写真になってしまっている。相当まずい。
警察でもズボンをはいていることは断固として主張していきたい。
隠すことで見えてきたもの、それはライトな変態テイスト。特に目線の効果というのはすごい。近所の人に見つからないうちに次の行動に移りたいと思う。