いわしの頭からいろいろ考える
次は中身の詰め物だ。残りの3匹に合体願おう。
今度は頭を落としちゃってかまわないので、楽は楽。だが、「頭を切り落とす」という作業は、精神的に負担が大きい。「すぱっ」「ごろん」である。
生物が生物として認識されるのに、頭の有無は重要だ。「頭だけ」でも1個の生き物として認知できるが、「頭なし」だと単なる「もの」に見えるのだ。その頭を切り落とすのだから、なんだか包丁も重く感じる。うわー。
古代彫刻「サモトラケのニケ」なんかもそうだよな・・・腕から先に羽が生えて、いっぱいに広げて躍動感があるけど、頭がないんだよねー。そうなると、自然に目はその体の細部に行くよなー・・・頭があったらそっちに気をとられて、躍動感がうすれるかも・・・などと考えながら、包丁を動かす。
アウアウ言ってるうちに、なんとか肉を集めることができた。4匹分で100gとなった。多いのか?少ないのか?どうなるか不安だが、ここにネギと酒と生姜と醤油と片栗粉を適当に加えて詰め物とします。
詰めていくうちにふと思ったが、この詰め物、何のことはない、いわゆる「いわしハンバーグ」だ。「骨のない魚」とは、「いわしのいわしハンバーグ詰め」だ。
ということは、同じことを豚でやるとすると、「骨のない豚」は「豚のハンバーグ詰め」になるのか。いや、ハンバーグは合挽きだから、牛も混ざってくると、その場合は・・・と考えているうち、詰める作業が終わる。