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特集


はっけんの水曜日
 
バッチャン探訪とメコンデルタで泣いた話

北のハノイから南のホーチミンまで1時間ちょい。フライト時間短いのに、ゴハンが出るベトナム航空……。

……びくびくしながら、ベトナム人しか乗っていないベトナム航空に乗って、ハノイから無事ホーチミン入りを果たした。

ふっかけてきた空港タクシーを交渉して、妥当な料金で市内まで届けてもらって、ホテルを予約していなかったので飛び込みでチェックインした(『dudu』という日本人オーナーのいるホテル、いいトコでした)。
夜はぷらぷら散歩して、ホーチミンはハノイよりも全然都会なんだなあと安心して、ガイドブックに載っていた歌謡ディスコですんごい良い声の歌手の生歌を聞いたりした。


歌謡ディスコは笑っちゃうくらい照明が暗かった。でも明朗会計。

……その日はゆっくり眠れた。

開けてベトナム5日目、ホーチミン2日目。
やっと少しベトナムに慣れてきて、私は少し油断していたのだと思う。


シクロのにいちゃんが「カトチャン・ペ」

ホーチミンは、人民委員会庁舎前のホーチミン像を中心とした市街と、チョロンという中華街、ふたつのみどころスポットがあるのだが、その間は車で20分くらい離れている。その移動賃で稼ごうと、シクロやバイクタクシーのおっちゃんらが、頻繁に声をかけてくる。

どのガイドブックにも「なるべくならシクロやバイクタクシーは使うな」と書いてある。トラブルが多いからだそうだ。
バイクタクシーの運転手は、必ず「日本人からの手紙」を貼りこんだ、スクラップブックを持っている。「この運転手さんは、親切にしてくれました」「この人なら信用できます」云々……。それを見せて「ほら、私は優良ドライバーですよ」とアピールする。

私がタンさんに逢ったのは、ベンタイン市場の前だった。市バスでチョロンまで行けるとガイドブックにあったので、バスを探していたのだ。

「コニチワ、ニホンジンデスカ?」

カタコト英語のバイタクに逢うたび、完全無視するのもなんだか申し訳ないから、「私の目的地は近いのです、ソーリー」とか「私は歩くことを楽しんでいるのです、ソーリー」とか、声をかけながら断っていたのだが……タンさんは日本語で営業しまくってきた。

「アナタ、ドコ行きますか?」
面倒くさいので、前にあった「ベトナムのスタバ」こと「チュングエンカフェ」を指差した。「あそこ、チュングエンでカフェ飲みますー」
「チュングエン、高いよ、あそこ、あそこのほうが、美味しくて安い」

彼が指差したのは、道ばたで小柄なおばあちゃんがやっているカフェだった。
そこのコーヒーも飲んでみたかったし、彼がどんな営業トークをかましてくるのか興味が湧いて、イスに座ってしまった。

彼は案の定、スクラップブックを出した。
そこには手紙がたくさん貼ってあった。明らかに日本人の女の子の文字で、「今、ベトナムから無事に帰国して、手紙を書いています。タンさんのおかげで、楽しい休日が過ごせました」とか、「このスクラップブックを見ている貴方は、タンさんをすごい疑いの目で見ていますね? でも彼は営業力のある、良いビジネスマンなのです」とか、書いてあった。日本でいちばん有名な旅行会社の社員の、名刺とコメントもあった。どの手紙の日付けも2004年で、新しい。



おばあちゃんのカフェスアダー(コーヒーミルク)は美味しかった。
タンさんは、日本語はほんの少しだけ話せるようで、英語はペラペラだった。私にも分かりやすいように、ゆっくり話す。

「今日で、ベトナム何日目?」
「5日目です。ハノイから移動してきました」
「おー、私、ハノイの出身です!
私、アナタをガイドしたい。1時間2ドルでどうですか?」
「いやあ、それはちょっと」
「……アナタ、日本のコメディ、知ってる? カトチャン・ペ」
「………それ、とても古いコメディです」
「じゃあ、新しいのを教えてくれますか?」
「……(え? ギター侍は『残念』『〜ですから』『切腹』とかセットじゃないとだめだし、アンガールズの『じゃんかじゃんかじゃんかじゃんかじゃんかじゃんかじゃんか〜』はもっと分かりにくいし、いちばん新しくて分かりやすいのって……何!? やっぱり、アレ? アレか!?)……『マチガイナイ』っていう、コメディがあります」
「それ、どういう意味ですか?」
「意味!? えーっと、違わない、つまり、正しいという意味です」
「………?(まあいいや、という顔をして) それ、覚えたいです。ここに書いてください」

私は彼のスクラップブックに、「machigainai」と書いた。

「これを言うと、日本の女の子、振り向くと思います」
「おお、ありがとう。ところで、メコンデルタのツアーに行きませんか、カニやエビなんかの食事付きでガイドしますよ」
「いや、メコンデルタはいいんだけど、チョロンまで乗せてってくださいよ。それだったら、いくら?」
「1時間、ガイド付きで2ドル」

……ガイドは要らないんだけどなあ、と思ったが、タンさんの目を見て、悪人には見えなかったので、彼のバイクに乗った。


身分証明証を渡されて、待ち合わせ

移動中も、タンさんはしきりに話しかけてくる。
「独身ですか?」「独身です」」「僕も独身。とてもさびしい。ひとりでいつもお酒を飲んでいます。あ、アサヒビアーはうまい、サイコーね」「あーアサヒですかー美味しいですよねー。でも、独身は自由でいいですよ」「自由? 自由だけど、やっぱり、さみしいですよ。ところで家族は?」「兄と母がいますよ、タンさんは?」「父は戦争で死にました。母も病気で死んだので、5年前、ホーチミンに出てきたんです。ハノイには弟がいます。ところでコーヒー豆、ベトナムのコーヒーはいいですよ、買って帰りませんか?」「いや、コーヒー、家では飲まないから」「なぜ?」「ひとり暮らしだから、コーヒーくらい、外で飲みたいんです」「そうですか、そういえば、僕もコーヒーは家では飲みません、外で飲みます」



チョロンのビンタイ市場に行くと、彼は私を市場の中に連れて行き、「シルクバッグ屋」なんかの位置を無理矢理ガイドし始めた。
「いや、あのね、タンさん……」
私はもうちょっと、このニイちゃんと話したくなっていた。イイ男だったとかそういうわけでもなく、単なる興味本意で。
「私、チョロンは自分で歩きたい。ガイドブックもあるし。でも、メコンデルタツアー、行ってもいいよ、あとでなら。値段っていくらなの?」
彼はゆっくりと言った。
「……120ドル」
「……高すぎ! じゃあ、やめます」
「じゃあ、じゃあ、いくらだったら行く?」
「……うーん……40ドル」
「……オーケー、40ドル」
「……えええ?」
あっさり下がったので困った。これは断れない。
「じゃあ、1時間後に、同じ場所に集合ね。とりあえず2ドルください。あと、これ、持っていって」
彼は、自分の身分証明書を、私に渡した。
「必ず、約束ね」



……どう見ても本物だった。ベトナムの本屋さんを回って知ったのだが、ベトナムの印刷技術は、非常に悪い。偽造するにしても、お金がかかるだろう。

ものすごい営業力……。
歩きながら、「これ持って、バックレちゃおうか……」と何度か思った。でも……。
有名なプラスチックカゴ屋さんをみたり、手彫りハンコのできる店で「Zくん」ハンコをオーダーしたりしていたら、時間はすぐに過ぎた。



タンさんは、笑顔で待ち合わせ場所に現れた。
バイクに乗る。


ノーヘル・バイクでメコンデルタへ

市街を離れると、風景が、どんどん田舎に、どんどん泥だらけになっていった。子供たちが、沼みたいな池で、全裸できゃあきゃあ遊んでいた。



アオザイの女子高生も初めて見た。「ハノイでは見れませんでした」というと「アオザイは南から来たものだから、南のほうに多いんですよ」といわれた。

この時までは、気持ち良かった。40ドルというが高いのか安いのかも、分からなかった。
ベトナム人と直に喋ることが出来て、私は嬉しかった。そういう個人旅行を、したことがなかったから。

途中、寄ったコーヒー屋で、また話す。
「私、実は、日本であった、ベトナムの観光フェスティバルで、往復航空券が当たって、旅行に来たんです」
「本当? 本当に!? ラッキーだねえ、きみは」
「私は東京では、貧乏なの。毎日毎日、働いてて、休みは、ほとんどないの」
「それは、僕も同じです。毎日働いてる。
自分の稼ぎは、全部ハノイの弟に送っている。弟はフランス語を勉強している。ベトナムの教育は、とっても高い。でも、勉強しないと、いい暮らしは出来ない。
自分も勉強したかっけど、それは、かなわなかった」

『弟』という言葉を言ったときだけ、営業笑顔で濁っていたタンさんの目がすうっと、澄んだのが分かった。……というか、それまで濁っていたことに、私は気がつかなかったのだ。

 


雨が降ってきた

トラブルは途中で起きた。
雨が降ってきたのだ。
私はガイドブックの「メコンデルタ」の項を読み込んでいなくて、その遠さを把握していなかった。バイク移動なんだから1時間くらいだろ、濡れてもコケて死ななければいいや、くらいに思っていた。

しかし、途中でありえないほどのどしゃ降りになった。安カッパを着て、メットをかぶる。


使い捨てカッパ。

ベトナムの人は、まじでこの状態で走る。

スピードを落としての運転。熱帯でも、雨が降れば気温は下がる。1時間半も雨をかぶったら、体温は急降下するに決まっている。
意識がもうろうとしてきて、「まだ着かないの……?」とばかり考えて、「やめよう、引き返そう」という言葉が出なかった。

フェリーを渡る頃には、まだ夕方だというのに、空は真っ暗だった。これじゃ観光出来ない……。

タンさんは、ニコニコして、しきりに「大丈夫、すぐ暖かいもの食べられるようにするから」と言う。

フェリーを渡って中洲の町に入ると、暗い建物の中から、「あやしさ」を固めて人間の形にしたような、小さいおっちゃんが出てきた。
「私、日本語話せる、日本のお客さんいっぱい来たことある、ほら、この写真見て」
彼の手には、『チェキ!』で撮った、小さいポラがいっぱい。確かに日本人がうつっているが、なぜ全部『チェキ!』なんだろう……。

日本人なら、あたたかいタオルや、飲み物を取りあえず出すところだが、「まずはちゃっちゃとメコンデルタ行くから」という感じで、小さい舟に乗せられた。私はずぶぬれのままだ。文句を言う気も起きず、思考停止状態のまま。

「普段だったら、ココナッツ教団とかココナッツキャンディー工場とかめぐるんだけど、今日はもう暗いので、ホタルだけ見て帰るね」

何だそれ、と思ったが、とにかく寒くて恐くて、わけがわからなくなっていた。

見える景色は『地獄の黙示録』そのもの。泥の河。フラッシュをたいても、何もうつらない。



「政府の船がやってる団体ツアーは、夜、出かけられない。でもこの漁船、個人のもの。だから、ホタル見れるの、特別」



ぼう、と、やしの木の影に、光が幾つも見えた。
ホタルだ。
小さいおっちゃんは、ホタルをいくつもとって、私のレインコートの、手首の内側に入れた。私の服の中で、ホタルが光る。

20分くらいの、ツアーとも言えないツアーを終え、レストランのような場所に連れていかれた。そこにはタンさんが待っていた。
小さいおっちゃんが、
「もう、夜、雨であぶないから、ここにあるホテルに泊まっていけ。朝焼けの美しいメコンデルタも見れるぞ」と言った。
「……嫌です、ホーチミンに帰りたい」
「いや、あぶないから、泊まっていけ」
「いや、ホーチミンに帰りたい」
「あぶないから、泊まっていけ」
「いや、帰りたい」

沈黙。
カニもエビも飲み物も出てこない。
もちろんタオルもホットコーヒーも出てこない。
というか、ここは中洲の町だ、自力で帰る方法が分からない。
異国での不安。
自分の危機管理能力の無さ。
臨界点突破。

「うっ………えっえっえっ」

涙が出て来た。

……サーッとひいていく、ベトナム人ふたり。

「天気が悪かったのはあなたたちのせいじゃない。でも、私はこわい。私は病気を持っている。私は睡眠薬がないと眠れない体質で、薬はホーチミンのホテルに置いてある。ここで泊まったら、不安で不安でたまらない、帰してくれ。エッエッエッ」

涙はぼたぼた、音をたてて出た。
……一度涙が出てしまうと、周りの様子がうかがえるようになった。「あ、ひょっとしてもしかして、これイケる? もっと泣いたれ……」

「分かった。責任持って、ホーチミンまで返すから、泣くな」
と、タンさんが言った。


冷えて死にそうな身体を、ホテルのお風呂であっためた。
あのままいたら、どうなっていたんだろう。頭の中に、強盗とか強姦とか、ぶっそうな言葉も浮かんでくるのだが、別に泊まっても大丈夫そうだったし、そのほうがメコンデルタを楽しめたんじゃ……とも思えた。ハッキリ分かったのは「日本の常識は通じねえ」ということだけだった。
あと「泣いたらなんとかなった」という事実に、心底、自分の人生のダメさ加減を自覚した。

私は……上客じゃなかった。めんどくさかっただろう。たいしてぼれず、しかも大雨の中往復4時間運転。
タンさんは、今日も元気に「間違いない」って言っているんだろうか。

ちなみに翌日、オーダーメイドしたハンコを取りに行ったら、



めちゃくちゃ良く出来ていた……。

(次回は楽しいベトナム雑貨情報などをお送りします)


 

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