ほっ立て小屋のことを書き始めたのに、先ほどはずいぶん極端な例まで考えてしまった。鏡とししての反例を求めるあまり、思わずビルに心ひかれてしまった自分を反省したい。改めてそこにあるほっ立て小屋たちをまっすぐ見つめてみよう。
●光さすことなきほっ立て小屋
ほっ立て度 :ほぼ良 小屋度 :良好
朽ち具合やぼろさでは物足りないところもある物件だが、それでも惹きつけられてしまうのは、これでもかという密閉感があるからだろう。正面がきっちり木戸で閉じられている上に、窓があるかもしれないと想起される横の部分もなんだか密閉。無限の闇が小屋全体を覆う。 用途不明感も謎を深め、それがまたトータルなほっ立て感を増幅させていると言える。
●バスが停まるほっ立て小屋
ほっ立て度 :優良 小屋度 :良
先の物件が謎めいていたのに対して、このほっ立て小屋はバス停の待合所という明確な目的がある。意味あるほっ立て小屋である。 気になるのは「地獄は永遠の苦しみ」という聖書の一節の看板が張り付けてあること。薄暗さがそれを暗示しているのか、小屋に張り付けてあることによって言葉の迫力が増しているように見える。
●コンクリートの硬さを超えて
ほっ立て度 :おおむね良 小屋度 :良好
コンクリート製の小屋である。その硬さはほっ立て感とは相反するものがあるように感じるが、ただずまいから漂ってくるものを感じ取るに、十分ほっ立て小屋であると言える。 丈夫な建物も手入れをせず風雨にさらすことでほっ立て小屋と化すという好例だ。ガラスが割れたままになっている放って置かれ感も基本がしっかりできている。
●今まさにほっ立て小屋
ほっ立て度 :優良 小屋度 :やや劣
解体中と思われる家屋。2階建てということもあって小屋感には欠けるが、人の手によって朽ち果てさせられ、これからなくなる定めを背負っていると思うと急にほっ立て感は高ぶってくる。 ぼろぼろ具合のタイミングとしてもベストだったのだろう。どんなに立派な建物であっても、状況によってはほっ立て小屋たりうるという可能性を身をもって示す物件である。
旅の途中で出会ったほっ立て小屋はまだまだある。ひとことレビューでご覧いただこう。