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コネタ


コネタ966
 
カリフォルニアで逮捕の危機

横田基地へ行った。
米軍基地で働く友人家族がドイツから3年ぶりに帰国したのだ。

いつもナマあたたかく迎えてくれる砂ぼこりと友人たち。

横田基地も何年ぶりだろう。

(text by 土屋 遊

予言

小中学校と一緒だったMは、もう誰も相手にしない私に懲りずに説教してくれる唯一の友人だ。海外生活がやたら長いので、『馬の耳に念仏』ということわざをご存じないのであろう。
「アソビ、またへんなカッコしてこないでね、髪の毛は今何色なの?あまり変だとベース(基地)で逮捕されるからね」
アメリカ人の色彩感覚のほうがよほどヘンテコきわまりないと思うのだが、私がガキの頃アフロにしたり、髪を赤やピンクや青や白にいきなり染めてきた時の印象を払拭できずにいるのである。
「今は黒ですよ、黒!日本で黒髪はいまや珍獣扱いですよ」
「ふーん。じゃいいけど」
あきらかにMはつまらなそうだった。

しかし思えばこのコトバは、なにかの前兆だったようにも思える。


お待ちかねです

 

カリフォルニアの青い空の下で

横田基地(横田飛行場)は言わずと知れた在日米空軍の基地だ。
福生、立川、昭島、武蔵村山、羽村市と瑞穂町の5市1町にまたがっているにもかかわらず、正真正銘の米国所有地。
そして、内部はカリフォルニア州である。

セレブ雑誌で、白い手袋をした手でブランドショップの買物袋を両手いっぱいに持っていたモデルの横に書かれたクソコピー
「ちょっとニューヨークへ買物へ」
を実に苦々しくながめたものだが、濡れた手をジーンズで拭きながら
「ちょっとカリフォルニアの公衆便所へ」
と、正々堂々と言っていいのである。いいだろう。

数年前までは、幾度となく訪れていた横田基地。
いつも玄関ゲートで、スポンサー(招待する側)と自分の名を告げていた。
警備員はあらかじめ予定していた訪問者リストを確認したうえでスポンサーに電話で確認。
承認が降りるとそのまま自家用車で乗り入れることができていた。

だが今回は事前に、一般車両の入場はできないことを告げられていた。
アメリカ同時多発テロ以降、基地はかなり神経質になっているとのことだった。

 

しかめっ面の再会

基地の中は定期的に無料のシャトルバスも走っているが、ゲートにはMが車で迎えに来てくれている。
久しぶりの再会。いつものように満面の笑みで迎えてくれると思っていたら、神妙な面持ちのMが遠くに見える。

なんだよ、私の髪が黒いのがそんなに気に入らなかったのかよ。

 

 

そうではなかった。
先にきていた友人と、あまりにも厳しくなった警備についてミーティングをかましているのだった。

横田基地内は広い。
総面積はおよそ7,136,413平方メートル、わかりやすく比較すると東京ドームの153倍。もっとわかりやすく説明しますと私の好きなアワビを35682個も敷き詰めた大きさにもなる。なんとすごい。

この35682個の中に、米軍司令部、管制塔、誘導路、整備工場などはさることながら、旅客ターミナル、消防署、図書館、郵便局、保育園から大学、ゴルフコースまでその他生活に必要なものは全て揃っている。
私は日本にあるこの小さな大国を、まだ訪問したことのないみなさまにご紹介するべくカメラをかまえた。


航空写真を撮ってみました(ウソ)アワビ35682個。

「今カメラ持ってたよね?カメラ持ってたよね?カメラカメラ」
「いえデジカメでございます。アメリカにはまだございませんでしょうか?」
警備員さんが没収する勢いで飛んできた。
私の抱えた犬を見て、それもイカンと言う。

「はあ?ダメなんですかあ?」
とごねる間もなく、Mは警備員さんを拉致するようにはるか遠くに連れて行って対応をしている。

30分経過……。
近所の友人宅に大移動しようかなどと相談していたら、Mが戻ってきた。
今回は特例で犬を許可。カメラはカバンの奥にしまい込むこと、決して出しては行けないと言う。
警備員さんがまた小走りにやってきて
「今度出したら逮捕だよ、逮捕。ホントなら逮捕だからタイホ」
と念を押すように私に告げた。
一瞬(それもおもしろいかもな)と思いはしたが、そこまでカラダを張ってネタにすることもないかと思いやめておいた。


執念の一枚

 

入国審査

ゲートの横に、あらたに検問所のような物々しい建築物ができていて、私たちはそこに通された。
20人くらいの人々が我が身分を証明するために列をなしている。
証明写真を撮ると同時に名前、住所、電話番号などのすべてがコンピューターにインプットされ一年間保管されるのだ。
「日本では個人情報保護法が流行中ですから断固拒否します」などとふざけられるような雰囲気ではなかった。

掟の書かれた表示を見た。
身分証明書は運転免許証、パスポート、住民票のいずれかを提示しなければならないとのことだった。(基地内への)入国を許可されていない国籍一覧もあった。私の覚えている限りではロシア、中国、インドなどの大国をはじめとして東南アジア、アラブ諸国などズラッともの凄い数の国が羅列されていた。
その間にも、警備員はMの反論がよほど気に入ったのか何回もやってきては外に連れ出してはナニゴトか警告していた。

計二時間ほどすったもんだしたあげく、私たちはようやくアメリカ入国を果たした。

本来であれば、犬も不許可、カメラ没収、息子のオンは身分証明書不所持のため入国出来ない。
MはMで、とんだとばっちりを受けた。彼女はドイツの米軍基地内免許と、日本・米国の両国の免許を取得しているが、横田基地内で許可されたものを持っていないので一年間免許停止、借りた車の所有者(Mの義弟)も同時に免停になるところだったが、すべて「まいっか、今回は」ということになった。どうやってMが、私たちのためにうまく取り繕ってくれたのかはわからない。恐喝か賄賂だろうか。いや最近、やっと日本語の読めるパソコンを購入したらしいのでこんなことを書くとまずい。きっと脚が異様に長いことに免じて容認してくれたのだろう。そうだ、そうにちがいない。


私のIDとゲストハウスの説明書

 

9.11の残像

興奮冷めやらぬMのクチから「ナインイレブン以降」という言葉が出てきた。
私はその言葉を聞いて、ちょっとだけガクンとした。セブンイレブンと似ているからではない。

2001年9月11日、同時多発テロから、すでに5年。

あの瞬間はテレビで見ていた。
だれもが思ったかもしれないが、一発目で感じたテロの影は、リアルタイムで見た二発目で確信となった。

Mファミリーは当時、アラバマ州の基地にいた。
ニューヨーク在住の友人2人に電話を入れたら、一人は呑気にビデオを見ているのだと言った。
一人は男でありながら男友だちと婚前旅行中だった。
翌朝、私の周辺の農家ではテロの心配より明日の天気の心配をしていた。
隣の警察官でさえ、テロの心配よりファイナルファンタジーエンディングを妻に先越されないか心配していた。そして私は次の大食い選手権の結果を心配していたのだった。
けれども私の母は、私の友人らの心配と、なぜかオーストラリアに住み着いた友人の心配までいつまでもいつまでもしていた。

あれから五年も経って、私ははじめてテロとこのオバケのような国境線を意識した。
レストランのトイレで初めて見知らぬ金髪女に罵られた時より、初めてメロメロに甘いケーキを1ホール食べた時よりも感じた
「アメリカなんだな、ここ」
という漠然とした感じ。

横田基地のゲートは今までにも何回通ったかわからないが、ドライブスルーの感覚といつも変わらなかった。それよりも我が国で、高級スポーツクラブの磨かれたガラスや、高級ブティックの重厚なドアの方に、バリアなオーラを感じていた。

テロの落としたものはまだまだ残っている。こんなの、いやだな、と思った。

転んでヒザから血をたらしていた半べその女の子を、「家までおぶって送ってあげるよ」と言ったら、走って逃げられたあの時の気持ちと似ている。私は誘拐犯に見えただろうか。このツラだしな。あの子の恐怖に満ちた顔は、笑っちゃうほどかわいそうで、だけど悪かったよって思った。
いやだけど、仕方ないよね。

バリアというよりも残念感。だけどやっぱり、日本の高級ブティックにドアマンはいらないと思うけどな。

罰として牢獄に宿泊することに……


と言うのは嘘で、上画像はクロゼット。本当はベッドルームが3つもあります!アメリカン!

 

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