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コネタ


コネタ175
 
神の島に行ってきた
神ノ島へといざなう標識。

アイランド・オブ・ゴッド。 神の島!

あ、バリ島に行ってきたというオチではない。

長崎に、その名も「神の島」という場所が実際にあるのだ。

一体そこは、どのようなところなのか?
魔法を習得できたり次のステージに進めるようになったりする場所なのか?
なぜ「神の島」などと呼ばれているのか?

車でサクッと、行って見てきた。

T・斎藤

神の島へは車で行ける

神の島は陸続き

神の島へは、なんと車で行ける。

元々は島だったが、埋め立てられて陸続きになっているからだ。

前フリではつい、
「神の島だ!」
なんて大げさに書いてしまったが、ここ長崎では誰もそんなふうに騒ぐ人はいない。
ごくごく普通に、地名として認知されている神の島。



神の島のシンボル・マリア像


で、いきなりこんな、いかにも「神の島」な映像。

純白のマリア像が、島の先端で海を見つめてたたずんでおられる。

その神々しい姿は「圧巻」の一語。

ここは本当に神の島ではなかろうか?
という錯覚に陥る。(いや本当に神の島なんだけど。)


釣り人もいる。

マリア様の眼下には東シナ海が広がっており、岩場で釣り糸を垂れている人の姿も見えた。

釣れるだろうなぁ、ここは。

 

神の島教会

「神の島」の由来

さて、どうしてこの地が「神の島」と呼ばれるようになったのか?

その由来を探ってみると、神功皇后伝説といった神話の時代にまでさかのぼるようで、正確なところはよくわからなかった。

では、現在のような「神っぽい雰囲気」ができたのにはどういいう経緯があったかというと、話は江戸時代にさかのぼる。


キリスト教弾圧の歴史

江戸時代といえば、あの日本史上の汚点とも言うべきキリスト教弾圧が行われていた時代。
中でも外国との唯一の接点であり、キリスト教信者も多かった長崎は、最も厳しく迫害が行われた場所だった。

長崎は当時、天領と言って幕府が直接治めていたが、神の島のあたりはなぜか佐賀藩(鍋島藩)が統治。幕府直轄の地よりも取り締まりがゆるかったため、隠れキリシタン達の潜伏先となった。

ということで、ここはキリスト教とゆかりの深い場所だったのである。

やがて日本が開国し、キリスト教迫害が終わりを告げて最初に建てられた教会が、国宝にも指定されている大浦天主堂。その次に建てられたのが、神の島の教会らしい。




古い石段
古い建物の跡

神の島公園

島は小高い丘となっており、頂上が公園になっている。車でそちらにも行ってみた。

すると、なにやら古い石段がある。その横にはレンガ造りの古い建物の跡。

「ひょっとしてこれは、
 隠れキリシタン達の教会の跡か?」

と思ったが、違うようだ。
(だいたい、これでは目立ち過ぎるよ。)

かつてここには砲台が設置されていたというから、おそらくその跡だろう。

石段を登ると、人の話し声が聞こえてきた。

頂上でのどかにバーベキューをやってる人々がいたのだ。

そのウマそうな匂いを嗅いだら、腹が減っていたことを思い出した。
神の島パワーで神聖なる気持ちになっていた私だったが、それもここまでだった。


神の島公園からの眺め
バーベキューやってた。




神の島行きのバスが、
今日も普通に長崎の町を走る。


うっかり寝過ごすと神の島まで連れて行かれます。



神の島・地図 →



 

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