17日目(6/21)
ものすごい勢いで増殖する/育つ生物というのは、人間に本能的に危機感を与えるのだ。物語で恐怖を感じさせる仕掛けとしてもよく使われる。水をかぶったグレムリンとか、コミック版ナウシカの培養粘菌とか。感染で増えるゾンビなんかもその類だ。(ゾンビは生物じゃないけど)
いま身近にその手の生物があり、とても恐ろしい。とにかくすごい勢いで伸びているのだ。いまにもが。このまま伸び続けたらオフィス内で藤棚みたいになって総務部に怒られる、という点を差し引いたとしても、あふれる生命力、その気迫が単純に恐い。「ジャックと豆の木」のお話では豆が一晩で雲の上まで伸びるが、そんな無茶設定も腑に落ちた。とにかくすごい成長速度なのだ。
以前、ベランダで同じようなメッセージ豆を育てたことがあるという安藤さんは、「あっという間にエアコンの室外機のパイプがぐるぐる巻きにされた」と言っていた。恐ろしくなって水やりをやめたのに全く枯れず、最後は引っ越しのときに抜いて捨てたという。その話をきいて、いまにもが異常なのではなく、そういう種類の豆だとわかり少し安心した。残る疑問は、安藤さんはそれを知っててなぜ同じ豆を買ってきたのか、という点だけだ。
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僕の生活にも変化が起きた。オフィスの共有スペースに置いたいまにもを見ていると、通りがかりのいろんな人に話しかけられるようになった。みんなあの成長速度に驚いてるのだ。 あんまり面識のない人でも、共通の話題があれば、そこに交流が生まれる。いまにもの周りは、喫煙者にとっての喫煙所のような、社内の交流の場になるのではないだろうか。 「タバコを吸わない人のための交流スペースとして、ピーナッツを置いた「豆食べ場」を作ってはどうか」。これは林さんが以前言っていたアイデアだが、いま図らずもそれが実現しつつある。「豆食べ場」ではなく、「豆見場」として。 人と人とをつなげる樹、これこそ友の樹ではないか。違うんだけど。ほんとにこっちが友の樹でよくないですか。
いっぽう、本物の友の樹のほうは全く発芽する様子を見せない。 先日、水に浸した方の豆も少しずつ土に植えているのだが、芽を出すそぶりも見せない。 今日はコップに水を足そうとして間違えてお茶を入れた。 こういう扱いのぞんざいさが、友の樹が心を開いてくれない原因のような気もする。 ( 2010/06/21 18:38:00 )
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