円形のパイプのとなりにまた円形のパイプが並べばすきまができる。 そしてそのすきまにはパイプがまたある。 パイプ、すきま、パイプ‥‥と延々と続く。
すきまにはガムでも詰めておけばいいと書いて一応の結論は出た。 しかし今度はそのガムのすきまが気になってきた。
ぴったりはたしかにすばらしい(※1)が、ぴったりになることなんてない。 すきまがなくなることなんてないのだ。 それでもぴったりを目指しすきまをガムで埋めていくのだろうか。
すきま部は「すきま産業で一攫千金を得るのだ!」をモットーに続けてきた。 「モットーに」部分は嘘だとしても、「続けてきた」のは本当である。 しかしすきまを埋めようとしても実際には埋まらないのも本当のことだ。 延々と続くいたちごっこをするくらいならいっそのこと好きになってみてはいかがだろうか。 (この一文だけ見ると、ストーカー被害に遭われている方が「これだ!」とピンときているかもしれないが、そのピンときたものは多分間違ってる。)
横丁や路地、猫、街のすきまは非常に愛らしい。 今パッと見渡しても冷蔵庫、ドア、カーテンのすきまには暗いすきまがあってそこには何かある。 実際見てみればガムかもしれないけれど、ガムよりももっと大きな抽象的な何かがある。 すきま部を続けてきてすきまのことが段々すきになっていった。 今やツンツンデレデレしているのだがその相手がすきまなのだから時々分からなくもなる。
すきま産業の人、すきまを埋めるなとはいわない。 あなたたちの気持ちは非常に分かる。 ぴったりとは本当にいいものだし(※2)あなたたちがぴったりにしたい気持ちには納得だ。 だけどもこれから埋めようとしているすきま、 そのすきまはほんとに埋めていいすきまなのか、もう少し考えてみてはいかがだろう。 別にすきま産業の人に言っているわけではなくて、 そのすきまとぴったりの衝動の間で私たちはうんうんと悩んでいたりするのだ。 そしてすぐ飽きてカレー食いに行ったりもするのだが、それはそれでいいじゃないか。
もう猫もいない。 カレーもうまい(※3)。 月末なのでここらで終わらせることにする。 ではさようなら。
※1.ぴったりの回参照。非常にぴったりしている。 ※2.ぴったりの回参照。非常にぴったりしている。 ※3.カレーはうまい。 ( 2007/01/31 17:00:00 )
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