すきまから調理場が見える。 手元が見えなくても顔が見えるだけでぐっと安心する。
だがなぜ顔が見えただけで安心してしまっているのか。 私たちが心配していることというのは何なんだろうか。
個人的に一番心配なのは きゃーきゃー言いながら作ってたらどうしようかということだ。 オムライスでも頼もうものなら厨房でコックのお兄ちゃんたちが
きゃー!オムライス! いやんいやん、オムライスよ! 裸で作ってみる?? 裸ー!いやん、油はね! はねるわよ! はねるよね! きゃー!熱い! 裸だと熱い! はねっかえりの油があつい! 裸だから熱い! きゃー!!
と、こんなことになっているのではないかと心配してしまうのだ。 その点、すきまがあると顔を確認できていい。 写真ではきゃーきゃー言ってそうな雰囲気もなければ裸んぼうでもない。
おい、顔が見えたからといって安心するな、 見えてない部分は裸んぼうでオムライス作ってるかもしれんぞ、 と昨日部員にした猫が言う。
なるほどそれももっともだな、と思い、 ちょっと腰を浮かしたり、体をひねってみたりして、角度を変えながらのぞく。 くねくねしながらオムライスを待ってみる。 このくねくねはでもちょっとあれだな、いやん、とか言いたくなるな、と思い 「いやん。」 と言ってみた。 前に座る初対面の人が「何?」と反応していた。 Hなやつめ。 油断も隙間もありゃしねえ。 ( 2007/01/18 17:00:00 )
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