食事というのは、味そのものの他に、雰囲気や気分を同時に味わうものだと思う。普通に食事をするとき、暗黙のうちにそういうルールが守られていると思う。
雰囲気を演出する要素の一つは食器だろう。「この食べ物にはこういう食器」という結びつきが一般的にあって、それがその食事に適したいつもの雰囲気を作る。
しかし、たまにその結びつきが壊れることがある。普段の結びつきが強い分、妙な雰囲気になることがある。
にじみ出る違和感。今回は意図的にそのずれた感覚を味わってみたい。
(小野法師丸)
ズレがかもし出す、味以外の味わい
一人暮らしをしていた頃、珍しく自分でクリームシチューを作ったのはいいけど、それに合う食器がなくて木製の汁椀に入れて食べたことがある。普段は味噌汁を入れる器だ。
機能としては特に問題ない。ただ、「これしかないから仕方ないけど、さすがに妙だな…」と、じんわり思いながら食べていた記憶がある。
日常の中で起きるそんな違和感。最近も自宅の冷蔵庫でこんなことがあった。
迫力ある表情をした、だるま型の陶器。群馬県・高崎駅の名物として「だるま弁当」が有名だが、これはその初期タイプの復刻版である「復古だるま弁当」の容器なのだ。
こちらの写真は数年前に食べたとき撮ったもの。普通の「だるま弁当」もおいしい駅弁だと思うが、「復古」はそれをグレードアップしたような内容で、輪をかけてうまかった。
普通のは入れ物が赤いプラスチック製であるのに対し、こちらは陶器。デザインも面白いので、今でも普通に食品用の容器として使っているわけだ。
では、冷蔵庫にあっただるまの蓋を開けてみよう。
中に入っていたのは缶詰のみかん。妻によると、いつも買ってるみかんの缶詰を移すときに量がちょうどよいのだそうだ。機能的なフィット感はわかる。ただ、こわもてのだるまの中身がみかんというのはどうも慣れない。
この妙な感じを今回は意図的に試してみたいわけだ。まず用意したのは、実家の押入れにあったこれ。
ちょっと高級な店でカレーを頼むと、ソースの方が入ってくる器だ。「ソースポット」と箱に書いてある。
子供の頃からこんなの食卓にあがった記憶がない。なぜだか家にあったらしく、かなり古いもののようだが、箱を開けてみるとビニールがかぶさっていて新品らしい。
カレー以外の食べ物となかなか結びつかないこの食器。どうしたものだろう。
試しに日本そばとめんつゆを入れてみた。自分でやったことながら、わかんない感じが漂ってくる。
カレーソースが入っていれば豪華でおいしそうに見えるのだろうが、日本そばだと感じられるのは妙な感じばかり。容器の高級感がすっかり空振りしている。何をどうしたくてこうなったのかが伝わってこない。
しかし、今回の目的はこの謎っぽさだからこれでいい。続いて試すのはこれだ。
お子様ランチ用の新幹線型トレーだ。ずいぶん前に知人の子供にあげようと思って安売りしてたのを買ったのだが、渡す機会がなくてそのままになっていたものだ。この機に乗じて陽の目を見せようではないか。
パッケージの写真ではエビフライやサンドイッチが乗っていて、お子様ランチの王道風。でも今回はそういうことではない。
梅干し、サンマの水煮、韓国のりといったラインナップが乗った新幹線トレー。一番大きく見えるのは豚足だ。新幹線という子供に人気のあるモチーフだが、乗っているのは出張帰りのおっさんのつまみのようでもある。
一応デザートも入れようと思って乗せたのは羊羹。家にあった地味な食べ物が満載だ。
とりあえず手近で用意できた食器で試してみたが、もっといろいろやってみたい。さらなる食器を手に入れに行こう。