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はっけんの水曜日
 
廃工場からコスプレの新・メッカへ!

このサビまみれのトタンは昭和10年代生まれ!

今回話をうかがったのはKAWAGUCHI ART FACTORY(以下KAF)代表の金子良治さん。まずは表にあったカンバン、日本金属鋳造工業株式会社について聞いてみよう。


敷地内でめだつのはやはりこのトタンの工場。1とか2の番号はいったい?

「もともと祖父の代から鋳物工場やってるんです。戦前から祖父が鋳物師で、戦後になって工場を持ちたいっていうんで、1948年にここの工場を買ったんです。以前は『日本ピストンリング』って名前で、戦中は軍需工場で中島飛行機のエンジンなんかを作ってたんですよ」

−−へ〜。そうか、エンジンも鋳物ですもんね。

「戦争が終わってGHQに接収されちゃって、2年くらい操業できなくて民需に転換したんだけど、大幅に縮小するよう命じられたんです。その一部を祖父が買ってはじめたんですね」

−−当時の鋳物というとどんなもの作ってたんですか?

「最初はもう生活必需品ですね。鍋とか釜、あと風呂釜とかね。鉄が供出でなくなってた時期だから、飛ぶように売れたという話です」

−−街も工場だらけで。

「いま街中にマンションあるでしょ?あれ全部もとは鋳物工場ですから。そうイメージしてもらって間違いないです。土地がまとまってあるから立て替えやすいんですよね。あと準工業地域ってのは規制がゆるいのでマンション建てやすいんですよね」


そう考えてみるといかに工場だらけか分かる。しかもどれもでかい!

−−マンションが全部鋳物工場、と考えるといかに多かったかが分かります!

「自分は中学の頃は都内の学校に行ってたんだけど、友達が遊びに来ると電車から降りた瞬間『くさい!』って言うんですよ」

−−鋳物の独特の焼けるにおいがありますよね。最近は工場が少なくなったのや対策もあってあまり気になりませんが。

「そのころ自分では当たり前すぎて自分の街が鋳物くさいって分かってなかったんですよ。とにかく認識がなかった(笑)。そのくらい街中に工場があったんです」


しかしオイルショックを機に斜陽となった鋳物産業。辞めていくにあたってほとんどの人が工場をマンション、もしくはスーパーなどの大型商業施設に売っていった。世間の厳しさは日本金属鋳造工業株式会社もけして他人事ではない。そこでどう対応したのか?

「うちも赤字も膨大に膨らんだので、続けてもしょうがないっていうんで土地を半分処分して、残ったところを『貸し工場』として賃貸業を始めたんです。そしたらそのうちにアトリエやギャラリー、あとスタジオ始めることになったんですよ」


というわけでこちら、廃工場を使ったスタジオが生まれたと。

こう見ると幾何学的できれい、な気もしますね。

−−ちなみにこのトタンの建物って、何年くらいに出来たんですか?

「つぎはぎして作ってるんですけど、両端の古いところは昭和16、7年。真ん中が30年代くらいじゃないかな」

−−そんなに古いんですか!トタンってよく持ちますねえ‥。

「トタンって厚みに段階があって、弱いところなんかだともう手でピリピリ破れるくらいだと思うんですけどね。丈夫なところはけっこう丈夫ですよ」


見た感じいかにも古いけど、まさかそこまで古いとは‥世界遺産とは言わないけど、ホントに歴史的建造物にでもなりそうな勢いだ。都会っ子ならトタンって材質事態知ってるかどうか。

こちらの日本金属鋳造工業株式会社、現在はもともとの鋳物作りを辞め、社名はそのまま使いながらもこちらの賃貸業がメインなのです。しかもスタジオ業って?これがタイトルにあるコスプレと関係してるんですよね。


工場にバラとギター。なぜ?答えは次ページに。

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