ピスタチオやフルーチェにも矛先を向ける反抗期
刃の付いてないナイフのような切れ味を見せる大人の反抗期。続いてはその刃先を木の実に向けてみたい。
数ある木の実の中でも、今回は「ナッツの女王」とも称されるピスタチオを選んでみた。アーモンドやカシューナッツと並んで、とってもおいしい木の実だと思う。
ただ、他のナッツと違って、ピスタチオには反抗したくなる要素がある。
殻がついていることだ。中身はおいしいピスタチオだが、殻をちまちま剥かなくてはならないことがもどかしい。あー、パクパク食べてえ!
ならば、殻ごと食べてしまえばいいじゃないか。時に無軌道に走る反抗期なら、突っ走ってしまえるはずだ。
パキッ!バリバリ…と口の中で音を立てる殻付きピスタチオ。うわー、これはダメだあ。せっかくおいしいピスタチオが、粉々になった殻と混ざってどうしようもなくなる。予想以上の不快感が反抗期を襲う。
知人から「殻を剥いて食べるって知らなかったから、殻ごと食べてた」という話を聞いたことがある。思い込みがあれば、こういう状況をも受け入れられるものなのだろうか。
個人的にはかなり無理。今後ピスタチオは反抗することなくちゃんと殻を剥いて食べていきたいと思う。
ピスタチオで受けたダメージは残るが、まだ反抗期をあきらめたくない。続いては冷し中華を買いに行ったとき見つけたフルーチェと向き合ってみたい。
ただ、フルーチェと言っても牛乳と混ぜて自分で作るタイプではない。缶飲料として売られている「飲むフルーチェ」というものだ。最近新発売になった商品らしい。
「飲むフルーチェ」を、飲まない。これが最高の反抗だ。
誰でも成長の過程で通り過ぎる反抗期とは、どうにもならない不条理に翻弄される儚さもまとっているもの。ただ、飲むフルーチェを飲まないという行為には、それが全くない。
缶を置いて無言で対峙する。むぐぐぐぐ…。
しばらくうなっていたが、そんな独り相撲をしていても埒があかないのは大人だからすぐわかる。ここは気持ちを切り替えて、別の角度からフルーチェに反抗してみよう。
この「飲むフルーチェ」、缶には強く振ってから飲むようにと大きく書いてある。ここだ、とっかかりを見つけたぞ。
そういうわけで、振ることなく缶を開ける。オラー!中には確かにフルーチェ的な物体が見える。このまま飲んでみよう。
むっ、中身が出てこない。フルーチェならではのプルプル感がありそうなのはいいのだが、それが強くて缶を真っ逆さまにしても出てこないのだ。フルーチェ側も意固地になってるのか。
すぐそこにあるものなのに、自分でもどうにもできない反抗心が邪魔をしてそれを手にできないのは、反抗期において時に起きえること。そういう意味で、上の写真の自分は反抗期を体現しているとも言えるだろう。(このあと横に細かく振って、おいしく飲みました)
「飲むフルーチェ」が振れという指示だったのに対して、こちらは振るなという要求。しかも、缶の横に小さな文字で書いてあるのではなく、キャップにかなり大きく主張。「振らないで!」というメッセージの本気度が高い。
でも振ってしまうのが反抗期。好奇心から、どうなっちゃんだろうというドキドキ感を期待するのは確かに中二っぽい。
しばらく思いっきり振って、素早くフタをひねって開けてみる。ブシューッとなったりするかもしれない。勢い余って顔にかかったりするのも、記事の展開としてはウェルカムだ。
そう思っていたのだが、中の液体は全く飛び出す気配もない。ただ地味に、泡がブクブクとなっているだけ。
見た目としては、おいしくなさそう。こういうことなのか。「振るな」という指示は、振ると泡だらけになってまずそうになっちゃうよ、ということなのだろうか。
ピスタチオ・フルーチェ・ミルクティーと身近なものたちに反抗期の刃を向けてはみたが、結果としては空回り感に襲われるばかり。もっと私を燃えさせてくれるものはないだろうか。