日常生活の中で、スナップ写真を撮ることがある。大抵の場合はニコッと笑ったり、楽しいポーズを決めたりするだろう。
スナップ写真とはそういうものだ。しかし、たまたま撮った写真をきっかけに気がついたことがある。被写体の表情が微妙だと、写真全体がおかしな雰囲気に包まれるのだ。
右の写真がそのきっかけとなった写真。どういうことか検証してみよう。
(小野法師丸)
慣れない場所で見つけた新しい自分
きっかけは、銀座のちょっといいレストランの食事券を手に入れたことだ。義父母が行った法事の引き出物がカタログ形式だったのを、そのままもらって食事券をチョイスしたという流 れだ。
そういう流れでもないと、自分から銀座のしゃれた店に行くということは個人的にはない。楽しみにして行ったわけだ。
料理はどれもきれいに盛りつけられていて、店員さんのサービスもとても気持ちがいい。そういうシチュエーションの中で、向かいに座っていた妻に撮ってもらった写真が冒頭に載せたものだ。もう一度よく見てみよう。
なんだこれは。銀座のしゃれた店、おいしい料理、店員の気持ちのよいサービス。そういう全てのプラス要素に包まれた自分は、こういう表情をしていたのだ。
人からしばしば「食事をおいしそうに食べるね」と言われるのだが、そうは見えないこの写真。今でもうまく説明できないが、慣れない雰囲気が押し寄せる状況が、自然とこの表情を生んだのだろう。
別に寝不足だったわけでも、何か気に入らないことがあったわけでもない。自然体でこの感じだったのだ。人間としての度量の小ささが垣間見えるようでもある。
しかしここはポジティブに捉えよう。器の小ささを晒すのと引き換えに、「スナップ写真に無表情で写ると面白い」という発見を手に入れたのだ。
続いてやってきたのは、当サイトのライターである大北さんの自宅。人からカラスミをいただいたので、奥様の大好物と聞いてお裾分けに来たのだ。
いつものデイリーポータルZの記事ではハードに決めていることの多い大北さん。この日もそれまで普通に雑談をしていたのだが、赤ちゃんを抱いてもらったら急に幸せそうな父親の表情に一変。その変化に驚かされた。
すごいぞ赤ちゃんパワー。だからこそ、赤ちゃんには負けたくない。ここは私のあれを繰り出すべき時だろう。
赤ちゃんのぷにゅぷしゅした感じ、大北さんのこぼれる笑顔。この状況に一体化することなく、無表情で決めてみる。心の中では葛藤があるのだが、それに負けたくない。
さらに一歩進めて、自ら赤ちゃんを抱かせてもらおう。
赤ちゃんも「こいつ変だ…」と察したのか、急に泣き出しそうな表情に。なかなか鋭いが、あやすことなく無表情の自分を貫き通したい。またも大北さんの父親としての表情が輝く。
その輝きの陰で独自の存在感を見せる無表情。そう、無表情が似合わないシチュエーションであればあるほど、それは謎めいた光を放ち始めるのだ。
続いてやってきたのは、休日の大きな公園。たくさんの家族連れや子供たちが楽しそうに過ごしている。この感じ、逆に無表情を繰り出したくなるではないか。
公園の中でも、プレーパークと名付けられたところが熱い。安全な遊びばかりでなく、自分たちの責任でいろんな遊びをしようというテーマで設けられたゾーンであるらしい。
確かに子供たちの遊び方がすごい。建物の屋根から飛び降りたりしているのだ。おっかないけど楽しそう。
このエキサイティングなシチュエーションに無表情で臨んでみる。遊びの危険性に警鐘を鳴らすでもなく、自分の子供時代に思いを馳せるでもない感じが出たと思う。 そこにいるのは、ただ不明に表情のないおっさん。わけがわからない。
逆に、わけがわかる無表情というのもある。例えばそれはフランクフルトだ。
楽しげに出店が並ぶ公園内。焼鳥やビールのようなおっさんにふさわしいアイテムもあるが、ここで個人的に選びたいのはフランクフルト。子供が喜ぶようなそれを嬉々として食べるのはなんだか照れくさいのか、何の表情もなく突っ立って食べてるおっさんというのを時々見かける。
フランク食べてる照れ隠しの無表情。 そうわかって見れば、そこには内面の葛藤という深みがある。
そして、おっさんの無表情地帯として思いつくのは、高速道路のパーキングエリアだ。運転の合間に休憩するおっさんの油断と、それを隠そうとするせめぎ合いが見て取れる。
先ほどの公園と同様、パーキングエリアの定番アイテムにはフランクフルトもあるが、さらにファンシーを高めたものとしてソフトクリームに注目したい。普段は別に食べないであろうソフトクリームだが、パーキングエリアに来ると魅力が感じられるのはなぜだろうか。
そしてその魅力に、おっさんたちもあらがうことはできない。しばしば食べてる姿を見かけるだろう。
ソフトクリーム食べてるおっさん。なぜだかその姿は、無表情で、妙に苦み走っていることが多い。
試しに私もやってみた。赤ちゃんを抱いた時は意図的に無表情を作ったのだが、今回は自然と表情が消えていく。きっと、「おいしそうにソフト食べてるおっさん」というかっこ悪さを打ち消したい気持ちが無意識に働くのだろう。
ソフトVSおっさん。これも心の構造を意識すれば、わけのわかる無表情ということになる。
無表情は、その背景とのコントラストが高いことでよくわからない光を放つ。ここまでの研究で、そういうことがわかったと思う。
例えば今回はちょうど撮影がバレンタインデーの時期と重なったので、スーパーなどに行くとどこでも特設コーナーがあった。よし、このタイミングだ。
…確かに無表情で決めてみたのだが、どうもイメージと違う。純粋で意味不明の無表情を出してみたかったのだが、どうもバレンタインデーへの反発みたいなものが浮かび上がってきてしまったような気がする。
それはそれで問題定義的な意味合いがあるかもしれないが、私が出したかったのはそんなストーリー性ではない。確かにバレンタインにはネガティブなメモリーが多い私。期せずして内面がにじみ出てしまったのなら、それは不徳の表れと言うしかない。
続いて目に入ったのは、雑貨屋のワンコーナー。季節のイベントと関係なく、ピンク色の雑貨類を集めて並べている棚があった。よし、ここで無表情を発進だ。
よし、イメージ通りのわかんない感じが前に出てきた。雑貨のピンクコーナーとおっさん。
ストーリーが全く見えない分、純粋に無表情の謎が深まっていく。何がなんだかわからないとはこのことだ。この写真を、今回の試みのひとつの極みとしてみたい。
最後に記事を振り返ってみて、意味のわからない自分の写真がたくさん並んでいることに、我ながらちょっとしたむかつきを感じた今回の試み。最後まで読んでくれてありがとうと、改めて感謝を伝えたい。
同じ無表情でも、女性やイケメンがやればまた別の味わいになると思う。スナップ写真に変化をつけたい時には簡単にできる面白い方法ではないかと、せめてもの償いとしての提案で終わりたい。