わが岩手県も年末年始の大雪にみまわれ、町内の神社が雪に埋もれてしまったため初詣ができなかった。1月も下旬となり、そろそろ初詣を済ませておきたいところ。神社の様子をみにいった勢いで、畑に放っておいたキャベツ掘りも済ませることにした。
(櫻田 智也)
年末はひどかった
ニュースで各地の大荒れが伝えられた年末、わが岩手県もひっそりと大雪にみまわれていた。
ぼくは帰省中だったのだが、大晦日・元旦と陸の孤島と化した町内で過ごした人たちはとにかく大変だったようだ。 自分の家のことで手一杯な状態の中、正月の神社は深い雪に埋もれてしまった。小高い丘の上に至る参道は除雪車が入れるような道ではない。 しかしながら1月も下旬になり、そろそろ初詣は済ませておきたい。 というわけで歩いて10分ほどの神社にでかけた。
当時を知る提灯
「夜間」の文字は手書きだったので、最近までは全面通行禁止だったと思われる。
と思って撮ったのだが年号が去年(平成22年)のものだ。今年の予定は貼り出すにも至らなかったということか。 新年だというのにほとんど誰も訪れていないのでは、神社も気の毒だ。
雪に埋もれた参道を行く。 すると行く手に突然あらわれたのが、
掘り出された紅白の提灯。その中にはぎっしりと雪が詰まっていた。 そう、紛れもなくこれは2010年大晦日に降った雪であろう。この提灯の中で、時計の針は2010年12月31日のまま止まっているのだ。
貴重な歴史の証人ではあったが手に持ってみたら酷く邪魔だったので、そのままにして先を急いだ。
山をなめるなよ
そう、いくら低い山だからといってなめたら危険なのだ。
「なぜ参道の途中に民家が?」 一瞬そう思ったが、「そういうものなんだろう」と考え直して先を急ぐ。 あとでわかったことだが、結果としてここは参道ではなかった。そう、たんなる民家の入口である。
どんなに低い山でも遭難しかけることはある。雪とは怖ろしいものなのだ。
「ほら、ここをくぐるんだよ!」 撮影係りの妻にむかって、ぼくは自信満々にそう言ったのだが、ふつう参道の途中でくぐるのは鳥居だ。ではこれはなんなのか? そう、民家の庭の飾りである。
凍るような寒さは人間の思考力をどんどん奪ってゆくのだ。
死の影はどこにでも潜んでいる
「むかし来た時こんなだったっけ?」そう思いつつ、「やっぱ雪は景色を変えるよね」と自分を納得させて前へ進むも、
自分のいる場所の上下に参道を発見。道ではなく、ただ山の斜面を歩いていたことに気づく。 仕方なく急斜面をのぼって参道復帰を目指す。
参拝
情けなくも地味に遭難しかけたが、なんとか参道に復帰を果たす。
さらに歩くこと10分ほどだろうか、やっと社殿がみえてきた。
社殿から溢れ出す生活感。 なんとも大雪の中での苦労が偲ばれるではないか。
雪対策と思われるカバーが賽銭箱にはかけられていた。カバーをめくってお賽銭を入れるというのは初めての経験だ。 そして、ここにやっと今年の初詣を済ますことができたのだった。
気になっていたことが済んで、とてもほっとした。ほっとしたついでに、もうひとつ気になっていることを済ませてしまおうという気になった。