レトロな語感と風情が郷愁を呼ぶこれら沈下橋であるが、四万十川に架かるものは総じて戦後、特に昭和30年代、40年代に架けられたものが多数を占める。
それ以前はどのように川を往来していたかというと、もっぱら渡し舟が主であった。沈下橋が架けられるようになると、四万十川全域にあった渡し舟は次々と廃止され、現在は唯一、河口の下田集落に残るのみだ。
ちなみに、既に私の目が死んでいるのは、ここに来るまで体力を使い果たしてしまった為だ。最初は楽だと思った緩やかな上り坂も、ずっと続けばさすがに辛くなる。おまけに今回、何をトチ狂ったかジーパンで来てしまったため、汗を吸って重くなり、肌に擦れ、とても痛い。肌も日焼けで真っ赤だ。
そのような中、四万十川の風景だけが心の慰めであった。 |