大都会トーキョーで今尚、再開発の進むイケてる地域、汐留。
大江戸線やゆりかもめの駅もとっくにできているが、じつは汐留の住所は未だ「東新橋」である。新橋と汐留じゃ、えらい違いだが、もしかして「汐留」って言ったもん勝ちなんじゃないだろうか。大変だ。見極めに行ってきた。
(田村 美葉)
40年ぶりの「汐留」リバイバル
汐留貨物駅の跡地再開発によって「汐留シオサイト」が誕生したのはちょうど私が上京したのと同じ2003年。
そう思うと、つい最近のようなもうずっと前のような、ひとり感慨深い気持ちになるが、その名前のルーツははるかに昔。江戸初期に埋め立てられた当初からここは「汐留」という名前であったのだ。しかしここは同時に、日本初の鉄道駅「新橋駅」が開業した地でもある。
そしていまの住所も東新橋。なんだか新橋になったり汐留になったり、いろいろと大変なので年表にまとめてみる。
リバイバル後の汐留しか知らない私からすると非常に興味深い汐留の歴史。いろいろと再開発にあたっては賛否両論もあったろう。今回はきわめて個人的な視点でこのリバイバル汐留の「汐留っぽさ」をみていきたいとおもう。まずは「新橋」との違いからだ。
新橋VS汐留
リバイバル汐留には未だ「汐留」という住所がない。特に、道路などで分断されることもなく新橋と直接つながる地下には境目がない。必ず、「新橋を歩いていたら、いつのまにか汐留ゾーンに突入していた」となってしまうのだ。
こうみると、左がビフォアで、右がアフターという感じではなかろうか。わずか10分ほどの間に、ビフォアアフターが存在している。不思議だ。
地下の境目はここだ!
そんな地下の境目だが、よく観察すると、けっこうくっきりはっきりと境目があることがわかる。注目すべきは、足元、そして頭上である。
そして実はわかっていた、「ここまで汐留」
さて、では地上に境目を探しに行こう。 と、盛り上がってきたところであらかじめ白状しておくと、住所がないとは言いつつも、どうやら汐留には開発区と定められたれっきとした区分があるようだ。検索エンジンで調べたら1秒で答えがわかってしまったのだが(汐留シオサイト公式ホームページ https://www.sio-site.or.jp/ 参照)、夏の暑さに負けずに元気に現地で検証してみた。
そうすると、やはり実際に行ってみるもので、各境界線付近でいろいろとおもしろいことが起こっていたので、このあとそれを順番にご紹介したい。
汐留 西の境界線候補 第一京浜を検証する
汐留の西の境界線の候補、それはもう間違いなく、片側4車線のこの立派な第一京浜だろうと思っていたのだが、実際行ってみると、実は真の境界線となっているのは、この1本裏手の細い道である。
どうやらこの真の境界線通りと第一京浜との間は、「汐留」と名乗れば誰でも汐留になることができる下克上ゾーンのようなのだ。
100%汐留エリアを抜ける
第一京浜を浜松町1丁目交差点まで進むと、住所が浜松町に変わると同時に下克上ゾーンも終わって100%浜松町の実直なオフィス街だ。ここで左に折れると、一転してめくるめく汐留100%エリアが広がっている。