日記を公開する
家の中だと取り返しのつかないこともスケールが小さくなる。そう思って川原にやってきた。
一度知られてしまった事実はもう取り消すことができない。特にインターネットの特性を考えればなおさらだ。
というわけで続いてのミッションは恥ずかしい昔の日記の公開にしたい。スケールは依然として小さい。
こんなところで公開することもどうかと思うのだが、取り返しのつかないことをしたい。その思いを胸に、僕はこの恥ずかしい日記のページをめくり、その内容を一部公開するのである。
5月16日(金)
きょう学校たべたものは
パン、スープぎゅにゅうからあげ
なんだけどおいしくなかったんだ
だってぎゅうにゅうはなまぬるいし
パンはぶどうパンだし
も〜〜、やだ、でもパン少し
のこしただけでほかは
全ぶたべたよ。
5月24日(土)
きょうはだい4土曜で
学校は休みでした。
ラッキーゆっくりできて
よかった〜。
あしたも休みきょうも休み
も〜ラッキー
ラッキー
6月2日
きょうもいつもといっしょ
あんまりたのしくなかった。
あしたもそうなのかなー
ごはんだけだ、いいことは
6月3日
きょうも
いいことは
ごはんだけ
いいことはなにもない
よの中くうことばかり。
6月7、6月8
し〜ん……
つまんない
6月10日
たのしかった
なんとなく
1ヶ月経過しないうちに、テンションと共に日記の文字数は減り、やがて終わった。名作「アルジャーノンに花束を」を彷彿とさせる。途中で頭良くならないけど。
妹の日記を公開する
さて、もしかしたら、なんとなくの女の子っぽさで気づかれた方もいらっしゃるかもしれないが、これ、僕の日記じゃない。妹の日記だ。
今、僕は他人の日記を公開している。取り返しはつかない。
こうして今原稿を書いている今こそが、取り返しのつかないことをしている真っ最中だとも言える。そう、このページ自体を削除してしまおう、そうすればまだ取り返しはつくのだから。
とかなんとか書いているが、タイピングは軽やかなのはなぜだろう。
人として取り返しのつかない領域
それとはまた別に、こうして無垢な妹の日記を土手で読み上げていると、単にプライベートな情報を公開していること以上に、何か取り返しのつかないことになっているように感じる。
この日記を読んで悲しくなった。
「こうちゃん(僕)が林間学校に行ってしまうのだが、私も行きたかった。だが私が行ってしまったら両親は寂しがるだろう。大丈夫だよ、私はいるから。」
というややポエミーな内容なのだが、時は過ぎること十数年、こうちゃんは無職でほとんど家にいる。皮肉か。全然大丈夫じゃないよ!