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土曜ワイド工場
 
理想の空き地を求めて


ありそうでなかなかないんですよ「良い空き地」。

ここ数年、空き地が気になる。

空き地っていうのは、いわゆるあの空き地だ。

今回、ぐっとくる良い空き地を求めて近所をうろついてみた。はたして良い空き地はあったのか?

というか、良い空き地ってなんだ。

大山 顕



空き地で遊んでたひとってどれぐらいいるんだろう?

ありがちなはなしだが、こどものころ空き地で遊んでいた。野球のまねごとしたり、鬼ごっこしたり、バッタ捕ったりしてたのは、家のそばの空き地でだった。

道路を隔ててすぐ向かいには公園があったのだが、そこと空き地と出遊ぶ率は半々だったような気がする。公園でも同じような遊びをしていたから、特に空き地じゃなきゃならない理由はなかったと思うのだが。

あれか、「2軒目行くか!」みたいなものだったのかも。「気分を変えて」とか。遊び場のハシゴだ。たしかにハシゴして帰るの遅くなって怒られたりしたものだ。まさに酒と一緒だ。

ただ、いまは遅く帰っても怒ってくれる人なんていないけどな!


その、ぼくが遊んでいた空き地。なんと空き地として健在!と思ったらゲートボール場になっていた。えー。なんかびみょうにがっかり。ならばいっそのことマンションでも建ってくれたほうが…

なんの話だっけ。

そうそう、空き地。

そういうわけで、空き地にはノスタルジーを感じる。いまでもいろいろな街で空き地を見かけると入ってみたくなる。もう37歳ですが。

37歳ですが遅く帰っても怒ってくれる人はいませんが!


これはなかなか良い空き地!雑草の生え具合、地面の素材、周辺環境など申し分ない。ただ、柵が残念だ。いや、この柵こそ「空き地感」を増幅しているのではないかという意見もありうる。どうだろうか。どうだろうか、って言われても困ると思いますが。

 

空き地といえば、あの空き地だ

えーと、だからなんの話だっけ。

そうそう、空き地。で、そういうふうに空き地が気になるので、空き地を愛でてまわろうと思ったしだいだ。そうして自分の中に何となくある「良い空き地」を明らかにしたい。そういう、読者をおいてけぼりにする記事です。すまん。

さて、日本人の心に深く刻まれている空き地は『ドラえもん』に出てくるあれだろう。のび太をはじめ登場人物の憩いの場として大活躍。ジャイアンリサイタルもここで催されたものだ。


これもかなり良い空き地。もうすこし面積がほしいところだ。手前のゴミ箱とまわりの環境が「裏手感」を醸し出している。さしずめ「会員制空き地」といったところか。なんだそれ。

かの名場面も空き地でくりひろげられた。【『ドラえもん』第6巻 より (c)藤子プロ 小学館】

しかし、今回空き地を愛でてまわってみて、あの『ドラえもん』の空き地はもはやファンタジーであるということがよくわかった。だれももう空き地では遊ばない。こどもが遊んでいる光景は目にしなかった。

怪しい37歳がカメラ持ってうろうろしていたから逃げたのかもしれないが。

あ、でもぼくはべつにそれを悲しんだりはしませんけれどね。べつにこどもが空き地で遊んでなくてもいい。ぼくが空き地を愛でることができればそれでいい。こどものことより自分の喜びだ。

というか、こどもより大人が遊べばいいのに。空き地で。



この地面の素材感がすばらしい。空き地はこうでなくっちゃ。雨が降れば、ぬかるむ。それが空き地クオリティ。まばらに雑草がアレンジされている点も心憎い。おしむらくは手前のパイロンだ。これは野暮というものだ。

 

というかそもそも「空き地」ってなんだ?

ぼくの記憶が正しければ『ドラえもん』の数あるエピソードの中に、空き地が立入禁止になるというものがあった。たしかマンションかなにかが建設されることになった、という話しだったと思う。おそらく最終的にはドラえもんの道具の力で建築計画が白紙に戻されたのだろうが(大人になったいま考えるとひどい話だ)、この話は空き地を考える上で非常に象徴的なものだと思う。

つまり、空き地とはいつか空き地でなくなることをその定義としているのだ。

と、なんだか哲学的なかっこいいことを言ってみたが、ほんとか。というか、これ、ほんとに哲学的か。


問答無用の空き地だが、この柵はいただけない。やはり空き地はオープンマインドであるべきだと思う。柵を施すにしても、入ろうと思えば入れちゃうていどの柵が好ましい。

たしか都市計画法上では「空き地」という言い方はしないはずだ。たぶん。忘れた。ああ、もっとちゃんと勉強しておけばよかった。

「空地」は「くうち」と読み、いわゆる空き地とは異なる。それは敷地のうち建築物が建っていない部分をそう呼ぶ。はず。たしか。ああ、ほんとにもっとちゃんと勉強しておけばよかった。

いわゆる空き地は「未利用地」などと呼ぶのだ。そう、「いまはまだ利用されていないけど、そのうち何か建ったりするよ」という呼び方だ。これはとても面白いと思う。

「利用」が前提となって、はじめて空き地は空き地であることができる。たとえば、サハラ砂漠に「空き地」はない。空間的に「空いている」ことが空き地の定義ではないということだ。

お、なんかやっぱりかっこいいこと言ってないか、ぼく。


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