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ひらめきの月曜日
 
サウナに入ると言うことは生きるということだ


あらかじめ斎藤さんに送った記事の草案です

 

暑くておっさんだらけのサウナ、入ったことはあったが何が楽しいのか分からなかった、意味が分からなかった。

それがデイリービタミンズというサイトのサ道というコーナーを読んで興味を持った。サウナ、おもしろそうじゃん。

デイリービタミンズ タナカカツキのサ道
https://dailyvitamin.jp/2009/07/359/

確かにこれだけ浸透して、愛されてるんだから何か良いところあるんだろう。そう思って通ってみて気付いた、サウナに入るという事は生きるということだ。

と、いうことで僕なりに感じたサウナの魅力を伝えたい。

尾張 由晃

 

サウナはやっぱり暑くて苦しい

魅力を理解しようと前向きに向かったサウナだけれどやっぱり暑い。サウナが好きだといっても暑いもんは暑いし暑いのは辛い。 

サウナで一汗かいてすっきりするか。こんなフレーズを聞いたことがあるかもしれないけれど、はっきり言ってすっきりなんてするわけが無い。暑く、湿度の高いおっさんだらけの密室でじっとしたまま汗かいて何がすっきりだ。

それなら天気の良い日に陽気にスポーツでもしてシャワー浴びたほうがすっきりするに決まってる。

ここじゃない、まだここじゃない。これは壁だ、唯一にして最大の壁。ビールの苦味やパソコンの設定のような壁、そこを越えれば後は楽園。ここは、ここだけはちょっと耐えるところだ。

 

意識が無くなるというのは気持ち良い説

と、壁を越えて楽園にいざなう前に一つ持論を展開させて欲しい。それが、「意識が無くなるというのは気持ち良い説」だ。世の中に気持ち良いことは数あれど、肉体的な刺激を別にして気持ちよくなるには意識を薄れさせる、無くさせるのが一番だ。

例を挙げると睡眠。布団に入って、眠る直前、意識が朦朧としている時が一番気持ちよくないだろうか。例えば飲酒、飲み始めてふわーっとしてきて気持ちよくなり、飲むほどに意識がなくなり、それに応じて気持ちよくなってはいないだろうか。柔道の締め技で意識を失うときも凄く気持ち良いと聞く。

意識を失うこと自体を感じることは出来ないが、意識を失うことは気持ち良いのだ。

それを踏まえて話は戻る。そう、サウナは意識を失う気持ちよさ、その瀬戸際を物凄く楽しめるものだったのだ。

 

サウナの主役は水風呂

暑いサウナの中から我慢ならんと飛び出して迎えるのが水風呂。実はここが主役だ。

90度以上のサウナにずっと入っていて、もう体は芯から茹で上げられて汗でびっしょり、頭はクラクラ、一刻も早く体を冷やしたい。そこで待っているのが水風呂だ。

恐る恐る足をつける。が、冷たくない。それどころか気持ちよくてしょうがない。そのままざぶんっと肩までつかる。うぁー!声にならない声が自然と出る。体の無駄な熱を冷水が一気に取り去って全身が引き締まる。

 

水風呂で死んでいく

しばらくそのままでいると体の周りの冷水が体温に近づき、冷たく感じなくなる。が、実際はそのまま体温を奪い続ける。体表の感覚が麻痺し、血管がキューっと締まる。

すると自然と息を吸い込んで、ずっといきんでいるような状態で殆ど呼吸をしなくなる。そして今までは熱にあてられ、小さく、早く鼓動していた心臓も徐々にゆっくりと、強い鼓動に変わる。

ドクン…ドクン…

日常生活では意識しない心臓の働き、 強さを知る。そうやって頑張る心臓に反して鼓動が遅くなるとそれだけ運ばれる酸素も減る。冷水につかっている体とは違い水面から出ている頭、脳は今まで通りの働きをしようとするので酸素が足りなくなる。

ここで、意識が薄れる。

ドクン…ドクン…一回脈を打つごとに視界が白く薄れていく。そのたびにどんどん気持ちよくなっていく。まぶたは下がり、何故か目は上を向き、口も開いていく。

正直言って酷い顔になっているだろうが、この状態が気持ちよくてしょうがない。 脈打つごとに寝そうでうつらうつらしている3倍気持ち良いと思ってもらって良い。

生命としては死に向かっているだろう。ところが苦痛は全く無く、あるのは快楽。雪山で遭難し、寝たら死ぬぞ!という状況をテレビで見るがおそらくそれと似た状態。死に向かうのは分かるけれども、それに歯向かう事、生きるほうが困難で苦痛。

 

体も意識も、生きたい

おそらくこのままずっと水につかっていれば苦も無く、気持ちよく死んでいける(実際は人が一杯いるからそんなことは無い)。うへへー、このままで良いかなー。と、頭では思うも心臓は強く脈打つ。ドクン…体は生きようとする。ドクン…もう頭は真っ白でほぼ何も考えられない。 

あぁ…気持ち良いなぁ…そろそろ意識無くなるかなぁ…ってところで唐突に思う。駄目だぁ!!うぉー!!俺、負けるな!!

ギンっと目を見開き体中に力を込めて立ち上がる。酸素が足りてないのかくらくらするが水面を荒立てながら水風呂を出る。ハッ、ハッと少し乱れた呼吸で、立ち尽くし、辛くても自分は生きたいんだな。と認識する。 

 

サウナも気持ちよくなる。

しばらくして呼吸が整うと冷えた体を暖めるため再度、サウナに入る。するとさっきはあんなに暑く、辛かったサウナが全然暑くなく、気持ちいい。呼吸は深くなり脈動は強く、早くなって体の隅々、細胞にまで血が行き渡るのを感じる。

飢えていた脳にも大量の酸素が送られ、必要以上に摂取したのかポワーッとした気持ち良い感覚が広がった後、視界が冴え、頭の中がすっきりとして、生まれ変わったかのような感覚を覚える。

だがそれも束の間、冷めていた体も暖まり、また暑さとの我慢比べとなる。しかしこの後の気持ちよさ、水風呂の魅力を知っているから耐えられる。暑さに耐えれば耐えるほど気持ち良い水風呂だ。
それを引き立てるために限界まで耐えて再度水風呂へ。

回を重ねるごとに水風呂も、サウナでさえも気持ちよくなっていく。これを満足いくまで繰り返す。これがサウナだ。

サウナは人生の縮図だ

こうやって水風呂で死に近づく事によって生きていることを感じ、辛くても自分は生きたいんだと実感する。そしてしたい事のために苦しくても頑張る。ただの暑い部屋と水だけれどもそこを行き来することがまるで人生、生きることのようだ。

僕の感じたサウナの魅力はこうだが、もちろん人生は人の数だけあるので、それぞれのサウナの楽しみ方があるだろう。あんなの、ただの我慢比べじゃん。と食わず嫌いしている方は一回は試してみたほうが良いですよ。


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