「穴があったら入りたい」という言い回しがある。とても恥ずかしくて、穴に入って隠れてしまいたい、という意味の言葉だ。
それはそれでわかる。ただ、もっとピュアに穴に入りたいという欲望もあると思う。別に恥ずかしいことをしたわけではなくても、そこに穴があるならば入ってみたいと感じる気持ちだ。
穴があるから入りたい。そういう自分の中の声に従って、穴に入りまくってみました。
(小野法師丸)
尽きることのない穴への欲望
穴に入りたい。そう言えば子供の頃って、なにかしら穴に入っていたような気がする。もういつからだろう、大人になって穴に入るということからすっかり疎遠になってしまった。
そう思い出して入ってしまった穴スイッチ。まずは身近な穴からチャレンジしてみよう。
身近な穴、と考えて思いついたのは洗濯機だ。横の洗面所で歯を磨きながら、フタの開いた洗濯機を見ては「穴…」と、いつもなんとなく思っていた。
よくよく見てみても確かにこれは穴と言ってよいたたずまいをもっていると思う。改めて穴だと認識すると、入りたいと思う気持ちが急に強くなってくる。
うちの洗濯機はたまたま大きなタイプのもの。一番たくさん洗濯するときの水の量は62リットルと書いてある。これなら私の体重とさほど変わりがない。
洗濯機からのウェルカムというメッセージにも読み取れるではないか。妻を軽く説得したところで、入ってみようではないか。
よじ登って入ってみる。洗濯機に入る、というこれまで考えたことのない行為をするドキドキ感。下手するとぶっ壊れるんじゃないかという背徳性も気分を盛り上げる。楽しいぞこれは。
洗濯槽は入ってみると見た目よりも小さく感じ、上半身まではどうしても入らない。楽しいことは楽しいのだが、やはり穴に入るからにはすっぽりといきたいというモヤモヤは残る。
不完全燃焼の気持ちを抱えてやってきたのは実家。ここには自宅にはない穴がある。
それは床下収納だ。頻繁に出し入れするわけではないものを入れておくのに便利なこの収納庫。
実家に住んでいるときは普通に使っていたのだが、パカッと開ける度に軽く心ときめいていたのは、もしかしたら「物を入れるんじゃなくて、自分が入りたい」という欲望だったのかもしれない。
母に入りたいということを話すと、怪訝な顔をしながらも中に入っていたいろいろな物たちを出してくれた。最後にプラスチックのケースを外すと、地面が顔を出す。
おおー。家の中なのに土が見えている。まずはそれが新鮮。入りたい欲を刺激する。
そういうわけで入ってみる。ちょうどいいフィット感。そしてひんやりした空気が漂う。
なんだか湧いてくるのは自然な笑顔。母が不安そうな顔をして見ているにも関わらず、つい人に手を振りたい気持ちになる。穴はいいもんだ、と語りたくなる。
この穴、洗濯機では叶わなかった肩まで入ることは軽くできた。完全にすっぽりといくことはできるだろうか。
角度をいろいろと変えながら、顔を下に突っ込んで前にかがむ。さらに背中をひっこめるようにすると、バタンとフタが閉まる音が聞こえた。
完全に入りきることに成功だ。穴と私がひとつになった瞬間がここにある。
当たり前なのだが、穴の中は真っ暗。まさに何も見えない。
この真っ暗さ、すごく久しぶりのような気がする。就寝時などに暗い状況に身を置くことはあるが、小窓から入る光や電器製品のランプなどがあって、完全な闇にはならない。本当の暗闇を味わうのは実は稀なことだと気がついた。
狭くて暗くてひんやりする。穴のダークサイドを満喫して満足だ。続いては屋外にあるオープンな穴ぐらを訪れてみよう。