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ひらめきの月曜日
 
カンチョーされてると思って見る銅像鑑賞


 

大人が社会で生きていく上で、つらく感じることはいろいろあるだろうが、子供の世界にも大人とは違った息苦しさというものがある。例えばそれは、いつ誰にカンチョーされるかわからないということだ。

リアル浣腸ではなく、両手を組んだ2本の人差し指でお尻の穴を「ビシクッ!」とされる方のカンチョー。

やるかやられるかの緊張感。謎の衝動が小学生を駆り立てる。大人になってずいぶん経つが、そういえば最近カンチョーしてないな。

でも、さすがにいい歳こいてほんとにカンチョーするのはまずいだろう。そういうわけで、銅像鑑賞の視点としてのカンチョーイメージプレイを提案したいと思う。

小野法師丸



再び巡ってきたカンチョーの季節

常にカンチョーされるんじゃないかという危機感にさいなまれていた小学生時代。大人になってからもさまざまな緊張感にさらされることはあるが、あの頃のクラスのじりじりした雰囲気を思い出せば乗り切れると思 うくらいだ。

特に緊張のボルテージが高まったのが階段を上るとき。うしろからやってきた刺客が、無防備な尻を狙ってくるのだ。


消えることのないナーバス

今でも駅や自宅で階段を上っていて、背後に気配を感じると緊張感が走る。思わず足早になる。

ちょっとした無法地帯だった教室。しかし、あの厳しいカンチョー戦争を超えてきたからこそ今の自分があるとも思う。学校で教わる大切なことは勉強だけではないのだ。

大人になって得た、もうカンチョーされることもないという安堵感。心の平穏はもたらされたわけだが、同時に精神的に張りのある日常生活を失ったとも言える。そういう文脈で「カンチョー再び」を唱えたいわけだ。

まず最初のターゲットはこの銅像。背中に子をおぶった母子像である。


無防備なタイプ

全裸ゆえにカンチョーに対する防御力は低い。2人のうち、今回は背中の子供を狙ってみることにしよう。

まだ未就学児のようだが、小学校に入るといろんな奴が君の尻を狙ってくることになると思う。今回はその予行として受け止めてほしい。


おりゃ!
「ぷぎゃー!」

小さい子だから手加減したつもりなのだが、さすがに初体験だからなのか、結構な衝撃だったように見える。よし、いいだろう。

実際に他人にカンチョーしたら警察沙汰になるのが大人のかなしさ。ならば大人ならではの成熟した想像力で補えばいいではないか。写真をうまく組み合わせれば、実践しなくてもカンチョープレイは楽しめる のだ。

当サイトで以前、東京23区の区役所にある銅像を見て回るという記事を書いたことがある。まずはそのときに撮った写真で見てみよう。


続いても母子像

こちらも先ほどに続いて母子像。やはり全裸タイプなので、こうしたプレイ視点で見るとウズウズした気持ちにもなる。

いい具合にテカッたお尻がこちらに向いているのも好都合。母親に飛びつくポーズも、ちょうど衝撃的なことがあった瞬間を捉えたものとして見えてくる。


うりゃ!
「はうっ!」

先ほどの子供より大きくなっていたので、やや強めのプッシュをイメージ。わかりやすい泣き顔ではなく、一瞬何が起きたのかわからないような表情になっているのもいい。

銅像カンチョーイメージプレイは誰も傷つけることなくできるのも優れた点だ。公共の場にある銅像に実際にカンチョーすることは、人間にするよりましとは言え、やはり社会的に心配な面もある。

そういうリスクを回避しつつ、プレジャーの部分は十分確保できるイメージプレイ。硬い銅像にコキッとなって指を痛める可能性もない。フィジカルな部分でもノーリスクだ。


手ごわいのが女性単体像
足の組み方が逆のバージョンも

区役所には先ほどのような母子像ばかりではなく、純粋な女性像も多く見られた。戸惑うのはこうした像に向き合ったときだ。

うーん、どうしたものだろう。幼少期にカンチョー戦争をくぐりぬけてきた戦士としての自覚はあるが、同時にジェントルマンとしてありたい気持ちもある。


「あんた何?」
「変な人がいます!」

やはりここは実践したイメージよりも、未遂で終わった状況を想像するにとどめておいた方がよいだろう。像の表情も「私たちはカンチョーを許しません」という はっきりとした意思が感じられるものだ。

ジェントルマンというよりは、怒られそうだから逃げたという話になってきたが、「カンチョーしてない」という結果だけ見ればジェントルマンと同じである。

逆に恋人同士がいい感じになってるような状況だと、ついいたずら心が湧いてくるという例もある。



忍び寄る悲劇

この2体の像には「お誕生日おめでとう」という作品名がついていた。よく見ると、男性が後ろ手にプレゼントらしき箱を隠し持っているのがわかる。

いいシーンだよね。だからこそ、一閃浴びせたくなるというのがカンチョースナイパーとしての性である。


ちょっと失礼!
「ギャッ!」

ずーん!
「ウッ……」

ジェントルマンであろうとすることを脱ぎ捨てて、まずは女性像を鑑賞。表情、顔の角度ともにまさにカンチョーモーメント。思わず前に出た手も含めて、インパクトの瞬間を凍らせたような趣きとなった。

女性が「動」のリアクションなら、男性像の方は「静」の顔。全てを受け入れているような表情にも見えつつ、涙の跡が見えるのはどう解釈したらよいだろう。それは感動と呼んでいいものなのか。

放たれたカンチョーの数の分だけ、受容の形はある。そんな豊かな多様性が垣間見える作品と言っていいだろう。こんな感じが続くのでよければ、次のページも見てください。


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