今思い出した。太宰治が確か、「小さい頃は跨線橋を遊園地のアトラクションみたいなものと勘違いしていたが、大人になったらその実用性に愕然とした」というようなことを小説に書いていた。
それから100年近く経って、やっぱり跨線橋はアトラクションかもしれない、と感じ始めた大人がここにいる。線路を跨いで橋を作らねばならないという実用性に、橋自体の経年劣化を足し、歩いて渡ることの余裕をかけて、鉄道趣味の成熟で割る。途中で計算合わなくなった。やはり跨線橋には何かがある。
冒頭の言葉、今はこう言ってみたい。「跨線橋が、ちょっと面白い」。 |