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ロマンの木曜日
 
「通りゃんせ」発祥の地で歌詞の意味を探る


由緒ある神社

童謡の舞台になったといわれるだけあって、しっとりと落ち着きのある雰囲気の神社だ。
子供の頃からなじんでいた童謡がここで生まれたと思うと感慨もひとしおだ。

どこか懐かしい境内の様子とあいまって、ここが「通りゃんせ」の発祥地だという思いは強くなった。

と、川越で思ったこととまったく同じことを思ってしまった。
(ので、コピペした)。


わらべうた通りゃんせ発祥の地

なぜここが発祥の地なのか

国府津菅原神社があるのは小田原、箱根の関所の近くだ。
「御用がないもの通しゃせぬ」と言っているのは関所番である。
天神さまに参拝するために、手形を持って関所を通る様子を歌にしているというのだ。
では「行きはよいよい 帰りはこわい」は何を表しているのか。


これが国府津版天神さまの細道

「こわい」は「つかれる」

この地域では、「こわい」を「疲れた」という意味で使うというのだ。
こわいは「怖い」ではなく「強(こわ)い」。
「おこわご飯」の「こわ」と同じ使い方だ。
標準語でも「足がこわばる」などの使い方をするだろう。
「行きは参拝する楽しみもあるのでよいけれど、帰りは足が疲れてこわばる」くらいの意味だというのだ。


これをくぐるといいことがあるらしいので僕もくぐった
こちらにも新聞の切り抜きが

実は、僕が育った北海道でも疲れたという意味で「こわい」を使う人がいた。
なので、そういう意味だといわれると、たしかに納得がゆく。
国府津の説でも、歌詞の内容はひととおり説明がつくと言っていいだろう。


天神さまの細道を「帰り」方向から見たの図・国府津版


それでも謎は残る

二つの発祥の地を見ても、「どちらが正しい」という結論は得られなかった。
あえていうなら「どちらも正しい」ということだろうか。
川越も小田原も、古くから信仰の対象として庶民に慕われていた神社だ。
わらべうたの舞台になるにふさわしい、すてきな表情のある神社なことは間違いない。

この歌についてもう少し調べると「通りゃんせ」や「どこの細道じゃ」というのは、関西地方の言葉遣いだという説を推す人もいた。
だから、もしかしたらどちらもほんとうの意味での「発祥の地」ではないのかもしれない。

しかし、どちらの神社の境内でも、地元の子供たちは「通りゃんせ」を歌いながら遊んでいただろう。
その子供たちにとっては、自分たちがはじめて「通りゃんせ」を遊んだその神社こそが発祥の地であり、歴史的な事実など、ほんの少しの意味も持たないのではないだろうか。

と、まとめて、「わかりませんでした」という結論をごまかして終わる。


 
 
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