それでも謎は残る
二つの発祥の地を見ても、「どちらが正しい」という結論は得られなかった。
あえていうなら「どちらも正しい」ということだろうか。
川越も小田原も、古くから信仰の対象として庶民に慕われていた神社だ。
わらべうたの舞台になるにふさわしい、すてきな表情のある神社なことは間違いない。
この歌についてもう少し調べると「通りゃんせ」や「どこの細道じゃ」というのは、関西地方の言葉遣いだという説を推す人もいた。
だから、もしかしたらどちらもほんとうの意味での「発祥の地」ではないのかもしれない。
しかし、どちらの神社の境内でも、地元の子供たちは「通りゃんせ」を歌いながら遊んでいただろう。
その子供たちにとっては、自分たちがはじめて「通りゃんせ」を遊んだその神社こそが発祥の地であり、歴史的な事実など、ほんの少しの意味も持たないのではないだろうか。
と、まとめて、「わかりませんでした」という結論をごまかして終わる。
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