陸上の砂鉄
中学時代の蹉跌ポイントはここだったように思う。近所のスポーツセンターだ。僕は中学生のとき陸上部に所属していた。
普段は学校のグラウンドで練習をしていたが、週末や夏休みははここにきて練習していた。今では一日の多くを引きこもって過ごす僕にも、そんな青春の1ページがあったわけである。
信じられん
だが現実は厳しい。球技が苦手なのでこの部活に入ったものの、全力で走ると次第に膝や足首が痛くなった。タイムも一向によくならなかった。下級生より遅かった。ついでにそいつからは「メガネ」って呼ばれた。コンタクトにした。
これが、運動における蹉跌である。
全力で走り続けない部活(例えばバレーボール部)に所属していれば、この蹉跌は無かったのではなかろうかとも思うが、まあ、どのみち運動における蹉跌はしていた気もする。
走るの疲れるし
タータン(トラックの赤いところ)に砂鉄はほとんどなかったが、人工芝の部分に砂鉄が豊富に含まれていた。
何かを意味しているようにも思えるし、何も意味していないようにも思える。
歩くところに砂鉄があった
砂鉄の精神
最後は高校である。高校生活全般において蹉跌した思い出しかない。中でもそれを象徴する場所と言えばこのコンビニである。
一見、普通のコンビニである
一見、学校最寄のコンビニに見えるこのファミリーマートは、学校から徒歩十分のところにある。学校からかなり距離がある。それにもかかわらず僕は昼休みをいつもここで過ごしていた。
なぜならば、コンビニまでの往復20分を移動の時間に費やし、残りを雑誌の立ち読みに配分することで、40分ある昼休みを誰とも顔を合わせることなく過ごすことができるからである。
歩道が舗装されて新しくなっている
昼休みの心のオアシスであると同時に、登校中にこのコンビニに寄っている間に気が変わってそのまま帰る、ということができる最終地点であることから、「通学路上のポイントオブノーリターン」とも呼ばれていた(僕に)。
高校時代の蹉跌を感じさせる思い出深いコンビニである。
なんで僕はこんなことを吐露しているのだろうかという疑問に駆られる(他人から見たらただのファミリーマートだ)が、それはさておき、砂鉄を採集する。
一応いくらか付いている
地面は観た感じあまり砂っぽさはなかったが、磁石で何度かなでるといくらか砂鉄が付着していた。無いように見えてやはりそこにある砂鉄。
磁石の先を注視する。見れば見るほど青春の蹉跌を感じさせる砂鉄である。…と思ってるのは地球上だけで僕だけかもしれない。
勢い付いて学校周辺の砂鉄も集めてみた。
学校に近い方のコンビニとか
危うく不審者である。
集まった砂鉄をどうする
下の画像が集めた青春の蹉跌である。
左から、小・中・高の砂鉄
集めた量は見ての通り中学生砂鉄が一番多い。粒の大きさにはそれぞれ違いが出た。
小学校(左)の砂鉄は粒の大きさが不揃いだ。中学校(真ん中)の砂鉄は細かく粒子が集まった。高校(右)の砂鉄は中学校の砂鉄よりは大きな粒だ。
それぞれの量と大きさが砂鉄(蹉跌)の性質を表している。こんな違いはなかなか知ることができないだろう。
最後にこれがただのゴミのような砂ではなく、我が青春の砂鉄だということを示して終わりたい。
この動画が作れたので満足です
青春と砂鉄
ある意味で地味な思い出の場所を巡り、砂鉄を集めた。当時の自分は気付かなかったものが身の回りに存在していたということに驚かされる。どこでもあるんだな、砂鉄。
人生の主題のように思えてしまう青春の蹉跌のそばにはいつも、全く気付かれることのない砂鉄がある。そのことは我々にとって大きな励みになってくれるだろう。