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フェティッシュの火曜日
 
はにわ祭で古代人に会った

ついに勾玉作りに手を染め
腰が抜けるほどの充実感を感じた

一時間半待ち、雨が降り始めた

歓迎の儀が終わり、小雨がパラつきはじめ、いよいよ寒くなってきた。自動販売機の「あったか〜い」は全部売り切れだし熱燗売ってないし楽しみにしているメッセージ交換まではあと一時間半。どこか暖かいところに…と思って、ピンと来た。勾玉作りだ!

今、勾玉がアツイ!

「大人の方で40分くらいかかりますよ」と言われたが、こちらは時間をつぶすためなので大歓迎だ。もしかしたら古代人が勾玉を作っていたのも「ひまだったから」なのかもしれない。受付で300円払って、滑石の直方体を砥石で砥いでいく。

「ナンダウッセーンダヨ、オメーハヨ!」と怖そうなお母さんが子供にどなっている。先ほどの世代間交流はどこへいったのだ。

そのときはああこっちのお母さんは怖い人が多いな、とか思っていたのだが、勾玉を磨き始めて10分ほど経ったとき没頭している自分に気づいた。

そうか、あのお母さんも熱中してたのだ。勾玉に。「これ家でもできますかー?」という声も聞こえてきた。お家でも勾玉を磨きたいのだ。だめだろう。家で勾玉磨いちゃなんかだめだろうという気もしたが、お母さんは車に子供を置いたまま勾玉作りに精を出し…という悪いイメージが頭をよぎって、家でもOK、家でやろうと心変わりした。


今日のハイライト。ここ数年で一番がんばったのでこの丸み。しびれる。

友人を交え、中学生に戻っていた古代人たち

古代人とのファン感謝デー

メイン会場では最後のセレモニー「昇天の儀」が行なわれようとしていた。向かっていく途中に古代人の一行と出くわしたが、みんな古代をオフにしていて同級生とだべったりして「孫見に行かねーとな」化していた。

でも首長である国造さんはえらい。子供たちと記念写真撮ったり、興味ある人と喋ったり、ちょっとしたファン感謝デーになっててしかもずっと国造さんでいるのだ。プロの俳優さんなのかしら?いやいや本物の古代人だ、どちらにせよえらい!という気持ちでいると「アライさーん、ちょっと時間もらえるー?」とスタッフの方に呼ばれていて、ガーン。


寒いしイベントの終わりで人も少なく
だが何度見てもこの小高い所からの登場は迫力があっていい

個人的にこういう画に弱い
さようなら、古代人たち

いよいよメッセージの交換だ

僕のイメージしていたメッセージの交換はラブレターのようなものにちいさな字で「ありがとう」と書いたものをそっと交換するというものだった。だが実際は町長が送別の辞を述べるものであり、普通に考えればそれもそうで、なんであんなにラブリーなものを想像していたのだろうか。

勝手な落胆をよそに町長は古代の人たちに学んでよりよい芝山を作り、また来年もはにわ祭りを開催しよう、という旨を述べた。でももしかしたら手のひらに「ありがとう」と書いていたかもしれないし、ひょっとすると町長は泣いていたのかもしれない。こちらも寒い中待ってたのでそうだったことにしてもらいたい。

さようなら、古代人

対して国造さんは、今日一日時間がすぎるのを忘れるほどだった、と始まり、もう要約すると「ありがとう」ということだった、やった。

話が終わると「昇天する」ということなのか、国造さんは「あーおーうーえーいー」と声明のようなものを唱え始めたのだが、さらに「かーこーくーけーきー」「さーそーすーせーしー」と来て、あ!五十音!とみんなの心の中にひらがなの表が浮かんだ。なぜ50音をひっくり返しながら昇天していくのかという疑問も起こらず、そのときはただ「このまま一行ずつ進んでいくと『ん』はどういう扱いになるのか?」ということだけを考えていた。

「やーよーゆーえーいー」、「らーろーるーれーりー」先ほどからほんとに一行ずつ唱えていてけっこうな時間がかかっている。ここまでくれば全員の頭に「ん」はどうなるのか?という疑問が浮かんでいるはずだ。

そしてワ行。「わーをーうーえーいー」と来て、そうか、さすがに「ん」はないのか、とみんながほっとしたような瞬間に「ん!」。

言った!「ん!」って言った!だから何だと思われるかもしれないが、古代の格好した人が「ん!」って言うのだ。変だろう。いや、変じゃないか。もうわからない。だってそもそも古代人って時点でわからないじゃないか。


最後の最後は消防団の方が終了宣言。個人的にやっぱりこういう画に弱い。

帰り道には古代人もいるんだけどね

古代人が出てくる祭りがどんなものかわかった。というかそれ自体は行きのバスでもうわかったので、祭りを通じては芝山町のことがよくわかった気がした。世代間だったりかつての敵対関係だったりのギャップを、一度古代にさかのぼって埋めていくのは大変興味深かった。だが、しかし。そんな祭りの意味や目的といったものよりも鮭の身をにぎりしめたり古代人が「ん!」って言ったり勾玉作りの中毒性の重要さを推したい。行かないとわからないことはどうもそっちにある気がしてならないのだ。家で鮭の身をにぎりしめてみよう。きっと意味がわからないだろう。だけど、はにわ祭りに行って鮭の身をにぎりしめると、なんだかわからないがわかった!感がすごいのだ。


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