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ちしきの金曜日
 
長崎原爆の痕跡に触れて

 

 日本にいて、原爆のことをまったく知らないという人はいないだろう。学校の教科書にだって載っている。一方、原爆の全てを知っているという人もまたいないだろう。

 長崎に住んでいると被爆から63年経った今でも、ふとしたところで、「原爆がここに投下されたのだ」と意識させられることがある。それらは、学校の教科書やテレビなどから作られた「私の頭の中の原爆のイメージ」とは異なる部分が実に多く、そのたびに少しずつ頭の中でイメージの修正をして来た。

 今回はそれらの中でも特に個人的に意外に思ったものを幾つか紹介したい。

T・斎藤



平和祈念像  

原爆の恐ろしさ

その前に、まず原爆の恐ろしさについて復習しておきたい。

原爆の恐ろしさと言えば、真っ先に思い浮かぶのは放射能だろう。目に見えない放射線が人体を貫き、細胞を内側から破壊。時間と共に髪が抜けたり身体中に内出血が出るなどして、死に至る。また、何十年も経った後も、白血病やガンなどの深刻な原爆症を引き起こしている。

目に見えないところと、何年も経ってからでも影響が出るのが特に恐ろしい。原子力発電所事故を起こしたチェルノブイリでは、20年経った現在でも周囲30km以内が放射能汚染による立ち入り禁止エリアになっている。

原爆の知識を再確認するため、
何年かぶりに原爆資料館を訪れた。
 

次に爆風。
風速はたしか資料館には170m/秒と書いてあったと思ったが、ネットで確認を取ろうと思ったらもっとすごい風速(300mとか400mとか)が書いてあり、よくわからなくなってしまった。とにかく、ものすごいエネルギーの爆風が吹いた。ちなみに最大級の台風で風速50〜60m/秒。

爆風は、ありとあらゆる建物、人間を吹き飛ばし、街を原子野と呼ばれる荒野に変えた。

爆風により吹き飛ばされた浦上刑務支所の跡  

それから熱線。熱線による被害は最も速く、爆発から3秒以内という速さで飛んで来る。その温度は、爆心地付近で4000度。1キロ離れていても1800度。ちなみに鉄が溶ける温度は1500度で太陽の温度は6000度。地球の表面で4000度って、ホントやばいと思う。原爆資料館には、熱でドロドロに溶けたガラス瓶などが展示されていた。

鉄やガラスが溶ける温度の熱線を、人間が浴びたらどうなるか? 資料館にあるそれらの写真はあまりにも残酷で、直視できないほどだ。

平和公園にある「長崎の鐘」

 

最至近距離の生存者

この恐ろしい原爆、爆心地付近では当然生存者は皆無、致死率100%と思うところだが、では実際、生存者で最も近いところにいた人は爆心地からどれくらいの距離にいただろうか?

1) 100m
2) 1km
3) 2km
4) 4km

答えは1番の100m。9歳の少女がたまたま防空壕の中に避難していて(中で遊んでいた?)奇跡的に助かったという。

まったく驚いた。
防空壕の中なので熱線を直接浴びなかった。そして爆風を凌ぐことができたことが明暗を分けた。というのは分かるが、しかし爆心地付近の温度は3000度〜4000度になったと言われてることや、放射能はどうだったのか?

9歳の少女が偶然避難していたという防空壕。  

と、こういう感じで、自分の頭の中のイメージを越えた意外な痕跡が、数多くある。

原爆写真展で、会場にいたおじさんと話をしていたら、そのかたは原爆投下の翌日から一ヶ月ほど、現地で救助活動をしていたと話されていた。私の頭の中のイメージでは、それは既に死んでいる。
「放射能は大丈夫だったんですか?」
と尋ねたら、やはり具合が悪くなって熱が出てきたので田舎に戻ってしばらく寝ていたら回復したと言われていた。

あと3つ紹介します。

爆心地から約100メートルという、ものすごい近い距離にある。  

 

 
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