■胸を張れ!ぽっかりスペース
しかし、ぽっかりスペース界は順風満帆ではない。なんだかよけいなことをしてぽっかりスペースが損なわれてしまっている例も見受けられる。
もっとも多いのは植栽による妨害である。せっかくのぽっかりスペースにあろうことかグリーンなどを持ち込んでしまっているのだ。台無しだ。そんなおためごかしの爽やかはいらない。もっとぽっかりであることに自信を持ってほしい。
しかし、植栽がつねにぽっかり感をそのねているのかというとそうもない。上の例のように、「ぽっかりしてるから何か置こうか」という配慮が逆にぽっかり感をうまいぐあいに高めていることも。いわゆる怪我の功名ってやつである。よくやった。
植栽以上にやっかいな例もある。
植栽だけでは飽きたらず、案内看板を置いてしまった例である。背後のゴミ箱への導線をふさいでまでもぽっかり感をなくしたかったのか。再考を迫りたい。しかし、これはまだ仮設なので良い。世論がぽっかりへと傾倒した際にはどければよいからだ。より深刻なのは下の例である。
有望なぽっかりスペースだった場所に、非常に便利な案内看板をしっかりがっちり設置してしまっている。なんたる狼藉。駅利用者への利便性とぽっかりスペースとどちらが重要かいまいちど考えてもらいたいものである。
さらに微妙なのが下の例。
規模としてはかなりのぽっかりスペースなのだが、これはいったいどういう体たらくか。ぽっかり柱といい、その上の梁といい、かなり優良なぽっかりスペースなのに。手前の柵はよい。侵入を妨げることでよりここがぽっかりスペースであることを際だたせているのはなかなかである。しかし、その壁はいかがなものか。
どうして人はこういうときなにかというと木々や空を描きたくなるのか。爽やかへの勘違いである。せっかくのぽっかり感が失われてしまっている。残念でならない。