ぶばいがわらって読めますか?
分倍河原(ぶばいがわら、Bubaigawara)である。ぜひ、声に出して読んでいただきたい。東京の多摩は府中市にある駅名だ。首都圏以外にお住まいのかたには馴染みのない駅名であるとは思うが、京王線の本線とJRの南武線が交わる乗り換え駅であるので、わりと乗降客は多い。
それにしても、読み間違えそうな名前である。ぶんばいかわら、ぶべがわら…などさまざまな読み方をしてしまいがちだが、正しくはぶばいがわらである。日本の地名で、濁点が3つも入る地名があっただろうか。ちょっと頭に浮かべてみたものの思いつかない。
それに『ぶばい』とは日本っぽくない語感である。ドバイとか、ヘブライみたいに、ちょっとアラビア語圏っぽい。
先ほどから例のごとく駅名から勝手にいろいろと妄想を膨らませているが、それではやはり地元の人に失礼である。やはり、なぜこの駅名になったのかの疑問解決を含め、実際に現場に行ってみようと思う。
分倍ではなく、『分梅』ともいう
駅名は分倍河原であるが、地名は分倍ではなく、『分梅町』というものがあった。当然、分倍河原の分倍は、この分梅から来たのだろう。なので、分梅町と分倍は、由来を同じにするに違いない。
駅前は典型的な通勤住宅地で、商店街のルートにはマクドナルドと不動産屋があった。どの町にもマクドナルドと不動産屋は駅前にあるものだ。商店街は比較的こじんまりとはしているものの、生活に必要なものはすべて揃うような雰囲気だった。
分倍河原こそ、アナーキーな町である。
メインの商店街の反対側がバスロータリーになっていて、その中心に像があった。なんと、この地は江戸時代より前、鎌倉時代に合戦があった場所だったようだ。分倍河原の闘いと呼ばれた合戦では、幕府側の北条氏と、反幕府側の新田義貞の軍が激突することになった。この闘いに勝利した新田義貞はその勢いのまま兵を率いて鎌倉に向かい、鎌倉幕府を転覆した。つまりこの地は鎌倉幕府転覆の大きなきっかけとなった町である。
幕府を転覆させた新田義貞の雄姿は駅前のロータリーの像にもなっていた。反政府側の人物の像を駅に飾る。ひょっとしてこの地は一見ただの住宅地に見えるがとてもアナーキーな町なのかもしれない。
さて、肝心のなぜ分倍、分梅と呼ぶかと言うと、いくつかの説があって、その中で有力なのは、多摩川に近いこの地は、川の氾濫や土壌の関係で収穫が少なかったため、口分田を倍もらっていたことから、分倍(ぶんばい→ぶばい)となったのではないか、と言われているようでした。 |