デイリーポータルZロゴ
このサイトについて


ひらめきの月曜日
 
第一回・声に出して読みたい駅めぐり(馬喰横山・分倍河原編)

分倍河原駅の駅前の地図より。分梅町というものが存在する。

書店の名前も分梅書店。

新田義貞の像があった。

ぶばいがわらって読めますか?

分倍河原(ぶばいがわら、Bubaigawara)である。ぜひ、声に出して読んでいただきたい。東京の多摩は府中市にある駅名だ。首都圏以外にお住まいのかたには馴染みのない駅名であるとは思うが、京王線の本線とJRの南武線が交わる乗り換え駅であるので、わりと乗降客は多い。

それにしても、読み間違えそうな名前である。ぶんばいかわら、ぶべがわら…などさまざまな読み方をしてしまいがちだが、正しくはぶばいがわらである。日本の地名で、濁点が3つも入る地名があっただろうか。ちょっと頭に浮かべてみたものの思いつかない。

それに『ぶばい』とは日本っぽくない語感である。ドバイとか、ヘブライみたいに、ちょっとアラビア語圏っぽい。

先ほどから例のごとく駅名から勝手にいろいろと妄想を膨らませているが、それではやはり地元の人に失礼である。やはり、なぜこの駅名になったのかの疑問解決を含め、実際に現場に行ってみようと思う。


分倍ではなく、『分梅』ともいう

駅名は分倍河原であるが、地名は分倍ではなく、『分梅町』というものがあった。当然、分倍河原の分倍は、この分梅から来たのだろう。なので、分梅町と分倍は、由来を同じにするに違いない。 駅前は典型的な通勤住宅地で、商店街のルートにはマクドナルドと不動産屋があった。どの町にもマクドナルドと不動産屋は駅前にあるものだ。商店街は比較的こじんまりとはしているものの、生活に必要なものはすべて揃うような雰囲気だった。

分倍河原こそ、アナーキーな町である。

メインの商店街の反対側がバスロータリーになっていて、その中心に像があった。なんと、この地は江戸時代より前、鎌倉時代に合戦があった場所だったようだ。分倍河原の闘いと呼ばれた合戦では、幕府側の北条氏と、反幕府側の新田義貞の軍が激突することになった。この闘いに勝利した新田義貞はその勢いのまま兵を率いて鎌倉に向かい、鎌倉幕府を転覆した。つまりこの地は鎌倉幕府転覆の大きなきっかけとなった町である。

幕府を転覆させた新田義貞の雄姿は駅前のロータリーの像にもなっていた。反政府側の人物の像を駅に飾る。ひょっとしてこの地は一見ただの住宅地に見えるがとてもアナーキーな町なのかもしれない。

さて、肝心のなぜ分倍、分梅と呼ぶかと言うと、いくつかの説があって、その中で有力なのは、多摩川に近いこの地は、川の氾濫や土壌の関係で収穫が少なかったため、口分田を倍もらっていたことから、分倍(ぶんばい→ぶばい)となったのではないか、と言われているようでした。


声に出して読みたい駅名「分倍河原」の駅名の由来

(有力説)かつて多摩川の氾濫の影響で、収穫の少ない当地は、倍の口分田を割り当てられたことから、分倍→分梅と呼ばれるようになった。


分倍河原アウトテイクス

分倍河原は狭い道が入り組んでいて、路地が突如行き止まりになったりというパターンが多い。ちなみに下の写真の道路は、白線に沿って歩くと突如民家にぶつかってしまう。赤瀬川源平が提唱したトマソンの一種だ。(写真左側に道は続いている)


うーむ、紛らわしい白線だ。

また、商店街には食べ物屋が豊富で、ふらっと入った店でステーキ丼を頼んだら大盛りのステーキ丼が出てきました。

分倍河原の商店街で食べたステーキ丼、めちゃうま。そして1,050円でステーキがまるごと一枚入ってます。

結局のところ、どちらも普通の駅でした

ちょっと気になる、声に出して読みたくなる名前の駅に行ったが、特に普通の町と比べて何かが変わっているわけでもなかった。当たり前と言えば当たり前だ。

声に出して読みたい、なんて書いたが、地元の人たちにとってはそれが日常であり、声に出してどうこう、なんて思わないだろう。

ただ、今回お邪魔した二つの町はどちらも居心地がよかった。今度はもうひとつの気になっている駅名『原木中山』(ばらきなかやま)に行ってみたいと思う。これで僕のバ行シリーズは幕を閉じるわけだ。


 
 
関連記事
いつも気になっていたあのビルへ行く
知らない町でいつもどおり
駅名しりとりで家に帰る

 

 
Ad by DailyPortalZ
 

▲トップに戻る バックナンバーいちらんへ
個人情報保護ポリシー
© DailyPortalZ Inc. All Rights Reserved.