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ひらめきの月曜日
 
第1回ボロボロの段ボールグランプリ 

今日はこの道端の段ボールにスポットを当てようという試みです


自然豊かな野道の脇には花が咲いている。

では都会の道の脇には何があるだろう?

段ボールだ。それも捨てられた段ボール。

考えてみると、役目を終えて無造作に捨てられた段ボールほど、「無」に近い存在はないのではないか、と僕は思う。

特に雨に濡れた段ボールほど無常な光景はない。段ボールは同じゴミでもゴミ袋にも入れてもらえないので、雨ざらしである。

そんな可愛そうな段ボールの叫びに耳を傾けてみよう、という試みだ。そして一番可愛そうな、ボロボロの段ボールには心の一等賞をあげたい。

(text by 梅田カズヒコ



久しぶりに雨が降った日、始発で新宿へ

今回のネタは実は2ヶ月ほど前から構想はあった。なぜすぐに実現しなかったかというと、雨が降った日のほうが、よりボロボロの段ボールが多いからだ。

そして、今週、ついに雨が降った。段ボール好きにとっては恵みの雨だ。

始発に乗って、もっとも雨ざらしの段ボールが多いと思われる、明け方の新宿に向かった。始発には釣り人なんかが乗っていた。雨の中始発に乗って釣りに向かう人。雨の中ボロボロの段ボールを探しに行く人。人生いろいろである。


始発に乗って、僕が勝手に“段ボール銀座”と名づけた新宿へ。

明け方で人通りの少ない新宿。

暖冬と言われては居るが、寒い。非常に寒い。冷たい雨が降っている。
ただ、寒くて雨ざらしということは段ボールを見つめる僕の同情心をあおって同情心を誘う素晴らしいボロボロ具合に出会えるかもしれない。そして僕の説明はどのぐらいまで理解されているのだろうか不安になってきた。

余計な説明はやめて、捨てられた段ボールを鑑賞しよう。

 

ゴミ置き場から何らかの抗力ではみ出してしまった段ボールがややかわいそう。
雨の日特有のボロボロ加減。

まずは一発目の段ボールから

ここまで読んできていただいた人は、お察しかと思うが、今回の「ボロボロ」具合の評価には、ぱっと見の“かわいそう感”を重視したい。単に物理的にボロボロな段ボールも惹かれるが、むしろ、かわいそう感を演出するメンタル的なボロボロ感を見ていきたい。

まずは左の写真。あまりボロボロ感は出ていない。唯一気になるのが赤い矢印で示されたはみ出してしまった段ボール。おそらく何らかの不可抗力でこのような状態に至ったのだろうが、仲間とずいぶん離されてしまったという意味ではボロボロ感を感じる。ただ、形状的に無傷であるので、やはりボロボロの段ボールとは言いがたいだろう。足元のふらついた通行人によって踏まれてしまうことを期待したい。今後に期待できる段ボールだった。

続いての作品。

これは雨の日に出向いて良かったな、と思わせてくれる段ボールである。雨で段ボールの端がめくれ、無様に開いてしまっている。

ただ、段ボールが白い塗装であることによって濡れている感は強調されているものの、そもそも白く塗られた段ボールは優等生である。庶民の土色の段ボールとは違うお坊ちゃまだ。だからそれほどかわいそう感はなかった。

しばらく新宿の夜道を歩いているが、なかなか期待したほどボロボロな段ボールが落ちていない。これは思ったより過酷な取材になりそうだ。

 

お、これは今までの中ではちょっとヒットかも


何か白いものをかぶされてしまったシースルー段ボール。

おそらく段ボールは本望ではないだろう。普通に落ちていればただの段ボールだが、そこに何やら白いビニール状の何かがかぶさってしまっていて、それがボロボロ感を強調している。放置自転車のそばにあるのも、かわいそう感をアップさせている。

この調子でどんどんボロボロのものを探していきたい。

 

けなげ賞をあげたい、雨ざらしになっても本来の仕事を全うしようとしている姿に共感を覚える。

職務を全うする涙ぐましさ

次の作品は日本人に好かれやすい段ボールではないだろうか。写真で伝わっているかどうか分からないが、この目の前の段ボール、雨ざらしでかなりボディーが弱っている。ぱっと見こそ本来の形状を保ってはいるものの、側面の濡れ具合からかなりギリギリの状態で頑張っていることが想像できる。

そして、捨てられたこの段ボールに与えられた仕事は、ゴミ袋を抱え、ゴミが周辺に散らばないようにするという仕事だ。最後に与えられた仕事まで全うしようとしている。

感動と勇気をありがとう! 段ボールよ。


少しづつ高レベルな闘いになってきました


320ピクセルでこの写真を載せるのはどうかと一瞬躊躇してしまうほど散々な雰囲気。

新宿の駅周辺から歌舞伎町方面、特に靖国通りに向かうにしたがってボロボロ具合がヒートアップしてきた。

上の写真も靖国通りで見つけたアート作品であるが、いろいろと見所はあるが、やはり一番かわいそうなのは矢印のワゴンにも乗せてもらえなかった段ボールである。ちょっと近づいてみよう。


おー! これはかなりボロボロだぞ、精神的に。

濡れ具合は問題ない。側面の端がはがれ、よく見るとその部分が何者かによって踏まれている。よく分からないビニール袋や歌舞伎町によくおいてあるタイプの情報誌が脇に添えられているのも、なんだか末端に居る感じがしてかわいそうだ。これはなかなか良いボロボロ具合。全体としてのインパクトには欠けるものの、テクニカルポイントの高い段ボールだった。

愛が一切感じられない捨てられ方。ゆえに高ポイント。

路肩にはみ出てしまったがゆえ、取り返しのつかない状態まで濡れてしまった。

都会の風に吹かれる段ボール

これはかなり豪快な捨てられかたをされてしまった段ボール。やはり「ボロボロの段ボール」の定義には「真っ直ぐに捨てられていない」という定義が重要なのかもしれない。明らかに何者かによっててきとうな捨てられ方をしてしまった段ボール。

案の定、たくさんの雨を受け端がめくれてきている。

現代社会に警鐘を鳴らす社会派段ボールといったところか。インパクト高し。黒ずんでいる、とか、もう少し別のファクターも混ざっていたら味わいが変わったのになーと思える作品。

 

路肩の段ボールは2割増し!

続いての段ボールは通行スペースから黒い水のたまる路肩に落ちてしまった段ボール。

もう取り返しがつかないくらい濡れてしまった段ボール。新聞、(安物の)傘、なんだかよく分からないけど黒いもの、と上に乗せられている装飾品もはずしているものがないかわいそう加減である。

赤い矢印で示されている箇所は黒い水たまりに埋まって境目がどこか分からなくなるほど汚れてしまっている。

そしてこんなかわいそうな段ボールにも追い討ちをかけるように雨は降り注ぐ。神は何を考えこの段ボールを追い込むのだろうか。

 

運よく難を逃れた段ボールたち

難を逃れた段ボールも

そんな中、うまく難を逃れた段ボールも存在する。左の写真がそれ。たまたまバス停のそばに捨てられたことによって難を逃れた段ボール。

安息の地に捨てられた段ボールは濡れないように肩を寄せ合って身を守っている気もした。

都会にやさしさを見出した瞬間。

 

味わい深いボロボロ具合


更新がお昼時じゃなくて良かった

まったくひどい光景である。しかしいろんな段ボールが転がっていて、いろいろ鑑賞点があるポイントでもある。
ここでは、以下の段ボールが僕の心にひかっかった。

暗い。

上のゴミ群の中ではこいつが一等賞だ。ゴミにせめられてくしゃくしゃになっている感じも良いが、中でもぐっときたのは段ボールに書かれた言葉である。写真、見にくいかもしれないが、『富士天然水仕込み』とある。天然水仕込みと書かれているのにこの有様。決してきれいではない水(雨)に打たれている。何て皮肉な文章なんだろう。

鑑賞ポイントとして、段ボールに書かれたコピーも大切な要素である、と感じさせてくれたアンセムな作品だ。

 

不当な差別を受ける段ボール

これも精神的にぐっと来ます。

この場合、かわいそうなのは手前の段ボールである。見た感じ、ボロボロではないし、一見普通に見える。

しかし、背後の白いゴミ袋から透けている段ボールも見て欲しい。『AT−12』というマークが見て取れるだろう。つまり、この2つの段ボールは同じ形状の仲間である。同じ境遇で頑張ってきたはずなのに片方はゴミ袋で守られ、片方は何の因果か雨ざらしである。なぜこのような不平等になってしまったのか。それは僕にも分からない。

そんなことはよく分からないが、かわいそうな手前の段ボールである。そっとコートをかぶせてやりたくなる段ボールだ。

 

まだまだあります、ボロボロの段ボールたち


ボロボロでかわいそう、というより、もはやカオスとなっている。
どんな運命だったのかは分からないが、引きちぎられてしまった段ボール。
収集車がやってきた。そろそろ鑑賞も終わりに近づいている
そして収集車が去ったあとに忘れられた段ボールの破片。ある意味もっともかわいそうかも。

協議の結果、どれかひとつにグランプリを与えることが難しかったので、第1回ボロボロの段ボールグランプリは該当者なしとさせていただきます。

第2回に他をぶっちぎるようなダントツでボロボロな段ボールの登場に期待したいですね。

最後まで読んでいただけたかたに本当に感謝します。

ああ、かわいそうな段ボールたち

まずは最後まで読んでくださったかたに本当に感謝します。

そして伝わったか伝わらなかったか、どのぐらいの人々の共感を得られたのか、あるいはひとつも得られなかったのかは分からないが、伝えたいことは僕なりに伝えたつもりだ。

段ボールは本当に便利な代物だ。我々の生活の中に段ボールがなかったとすれば、生活はどうなっていただろう。引越しもできないし、お店も営業できないし、商品も運べない。

そんな大活躍の段ボールだが、捨てられるときは雨ざらしである。そこがかわいそうで、というかそんな有様にある種のパンクスピリットが働いて、応援したい気分になり、今回の記事を書かせてもらった。

もっと簡単に言い表すとしたら、♪濡れ段ボールみたいに美しくなりーたい、写真には写らない美しさがあ〜るから〜

ということである。

何が『ということである。』だ、自分よ。


 
 
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