気象の歴史と哲学についてご教授いただいた
日本気象協会は池袋サンシャインシティの55階にあった。
高速エレベーターで一気に55階まで上がると耳がキーンとした。これも気圧の影響だ。「気圧の谷に行ってみたい」、そう思い立った日から、なにかと「気圧」を気にしている自分に気付く。
富沢さんはお忙しく、僕との面談の後にもアポイントメントが入っていたので、お話を伺えるのは1時間という約束であった。あまり時間がない。質問ポイントを2点に絞ってお話を伺う事にした。
・「気圧の谷」とは?
・この先1週間で「気圧の谷」が現れる場所はあるのか?
と、考えていたのだが、富沢さんは気象の歴史や哲学にこそ気象ロマンを感じるとの事で、日本の気象観測の始まりからお話をしてくれた。約1時間の面談中、55分に渡り語っていただいた富沢さんの気象ロマンをざっくりまとめると以下である。
・明治16年2月16日、日本で最初の天気図が作成された。
・明治17年6月1日、ドイツ人のクニッピング氏により日本で始めての天気予報が発表された。
・その時の予報は英語で「Variable winds, Changeable, some rain.」というものであったが、それを日本語に訳し「全国一般風の向きは定りなし天気は変り易し 但し雨天勝ち」という全天候型の予報とした。
・気象予報とは天気図を「翻訳する(読みこなす)」作業である。
・気象予報士は私生活をきちんとしないといけない。
・気圧の谷といえば、東京で最も気圧が低くなったのは1917年10月1日。台風が直撃し、953ヘクトパスカルを記録した。
話が「気圧の谷」に至った所で思い切って話を遮ってみた。
住「すみません、その気圧の谷ですが近日中にどこかに現れますか?」
富沢さん「近日中だったら、今度の日曜日に大きな低気圧が2つ来ますから、そこに気圧の谷が現れますよ」
おお! 来るんですね!
富沢さんはショールームのパソコンを操作して、次の日曜日(4/16)朝9時の予想天気図を見せてくれた。日本海側と太平洋側に低気圧が2つ。この2つの低気圧に覆われる地域全体が気圧の谷という事になるらしい。
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