文集に書いた夢が叶っている
冒頭に載せた卒業作文は、「作家になって文章で辞書のおもしろさを伝えたい」という夢で締められている。
Webライターもある意味作家だし、今こうして辞書の面白さを記事に綴っているよ。当時は想像もしていなかっただろうけど、ちゃんと叶っている(ちなみに作曲も毎日鼻歌でふんふんとしている)。辞書のおもしろさ、伝われ!
小学生の時から新明解国語辞典が好きだ。
小学校の卒業文集では「辞書は私の友だち」というタイトルの作文を書き、新明解の魅力を語ったほど。
あれから13年経ちすっかり大人になったいま、新明解国語辞典と「友だち」として出かけてきました。
小学生の卒業文集に、「私は国語辞典が大好きです」から始まる作文を載せた。
同級生たちがこぞって遠足やら修学旅行やら学校行事の思い出をしたためる中、学年で唯一人間以外との思い出を綴ったのだ。
おっと心配しないでくれ!決して人間の友だちがいなかったわけではない。こんな私のことを周りは幸いにも面白がってくれて、友だちにはかなり恵まれた。ただ辞書の魅力を後世に遺したかっただけなんです。
作文の内容は、一番好きな「新明解国語辞典」の見出し語のうち解説が面白いものを次々紹介していくスタイル(作文と言えるのか?)
たとえば同じ魚介類の説明でも「美味」とされている魚と「食用」とだけ示されている魚があり、「この辞書、食べ物の好き嫌いがあるのでは?」みたいなことを書いていた。美味かどうかなんて人によるじゃんね。新明解のそういうところが好きよ、昔から。
国語辞典は定期的に改定され、”版”が改められる。その度に見出し語や語釈とよばれる解説文が再検討されて内容がかわりゆくのだが、私は親から譲り受けた(というか勝手に貰った)新明解の「第四版」を愛読していた。なぜなら語釈や用例が面白いから!
新明解は初版~最新まですべて持っているし全部の版が大好きなのだけれど、「読み物」としてはなんだか四版が一番面白い気がするんですよね。辞書好きの間でもそういうことになってます。
というわけで、10年来の親友である新明解の第四版(以下、四ちゃん)とのんびり出かけることにした。
すこし遅いお昼ご飯に、新明解とまず向かったのはイタリアンレストラン。涼しいところでゆっくり話そう。
四ちゃんは味については教えてくれなかった。食べたことないのかな。トマトは甘酸っぱくて美味しいんだよ。
食べる?と聞いたがいらなそうだったのでひとりで食べた。
食べ始めてすぐに四ちゃんが私の服を引っ張るので見てみると、
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シャツが白いからソースを飛ばさないように注意しろってね!あんた優しいねぇ。昔から変わらないわ。気をつけさせてくれてありがとう。
でも結局胸元に一滴飛ばした。やり損じであり不結果である。注意してくれたのにごめん。
すこし電車に揺られて、海を見に行った。
この日の海はたしかに穏やかで整っていた。きみも充足感や満足感を感じてくれていて嬉しいよ。一緒にいる友だちが同じものを見て同じように満足してくれるのは嬉しい。
ちなみに「綺麗」じゃなくて「奇麗」と言っていたのが気になって、帰宅後にわりと最近仲良くなった「新明解国語辞典 第八版(最新)」さんに聞いてみたところ、どちらの漢字も載っていて「日本的用事」の解説はなくなっていました。あと八版さんの感受性が強い!こういう版ごとの感受性の違いこそが辞書のおもしろさ。きみとも仲良くなりたいから今度遊ぼうね。
すると突然、四ちゃんが何かに気づいたようなそぶりをみせた。
ちなみに右上の「然る事ながら」は、語釈や用例が面白いと思った見出し語に対して小学生の私が貼っていた付箋です。「然る事ながら」の用例が妙に具体的で長いのが面白くて(下記)。みなさんは四ちゃんの言う「T」って誰だと思いますか?
夜になり、話し足りない私たちはふらっと飲み屋に入った。
四ちゃんと出会った頃はランドセルの小学生だったのに、今やお酒を飲める歳になってしまった。自活しているし社会の裏表もある程度見えている。
でも中身は何も変わらない!今でも国語辞典が大好きだし、友だちだと思っている。
虚偽も欺瞞も毎日の試練も、四ちゃんとなら乗り越えられる気がするよ。
冒頭に載せた卒業作文は、「作家になって文章で辞書のおもしろさを伝えたい」という夢で締められている。
Webライターもある意味作家だし、今こうして辞書の面白さを記事に綴っているよ。当時は想像もしていなかっただろうけど、ちゃんと叶っている(ちなみに作曲も毎日鼻歌でふんふんとしている)。辞書のおもしろさ、伝われ!
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