タイムには不服
協力
多摩川源流大学
http://genryudaigaku.com/
東京農業大学オホーツクキャンパスhttps://www.nodai.ac.jp/portal/tebiki/Okhotsk/
フルマラソンというものがある。42.195kmを自分の足で走る競技だ。オリンピックの競技だし、涼しくなってからの季節は全国で大小様々なマラソン大会が開催される。多くの人が42.195kmを走るのだ。
ただ冷静に考えれば42.195kmを走るって大変だ。速い人は2時間ちょっとで走ってしまうけれど、それは運動をめちゃくちゃやっている人の話。中学校からずっと帰宅部の人は走ることができるのだろうか。
自分には関係ないな、という話がある。親戚の親戚の又従姉妹がタンスの角に小指をぶつけたとか、タイのどこかの小さな村でチューリップが1輪咲いたとか、自分には全く関係ない話。それと同じレベルで私にはフルマラソンが存在した。
私は運動を全くしてこなかった。中学、高校と帰宅部で文化部にすら入っていなかった。大学は美大に行った。偏見だけど美大の人間がオリンピックに出るとか聞かない。そう、運動しないから。まさに私がそう。とにかく運動をしないで30年以上生きてきたのだ。
そんな私がフルマラソンを走るという話が今年の4月頃に決まった。今となってはなんでそうなったのか思い出せないけれど、33歳にして初めて運動をするということだ。42.195km、それはシルクロードよりも遥かに感じた。
出場するレースは9月30日に行われる「オホーツク網走マラソン」。4月から練習すれば走れないこともない気がした。ただ大きな問題として、走るのが嫌だというのがある。ただ走らなければならない。
覚えている限りでは初めて6キロを休まずに走ったと思う。1キロあたりのペースは「7分」。かなり遅い。10キロ1時間を目標にしていたので、全然ダメだ。何より、心臓がばくばくして死んじゃうのでは、と思った。次の日の筋肉痛もすごかった。
努力は嘘をつかない、と思っていた。でも、そんなことはなくて、毎日走って1週間以上経ったのに相変わらずペースは7分。さらに疲れがひどくて、こんな状態でフルマラソンを走れるのか不安でしかない。人生で初めて毎日走った。
ランニング時に履いていた靴はマラソン用ではなかったので、それ用の靴を買いに行くことにした。せっかくなので自分にあった靴を買いたくて、走り方などを測定して、自分にあった靴を教えてくれるアシックスのお店を訪れた。
いくつかの靴を選んでもらい、その中で一番いい靴を買った。3万円。もっと安いものもあったけれど、知り合いが「靴だけはケチるな」と言っていたので、一番いいものを買った。全てはフルマラソンを完走するためだ。
この靴を履いて走ると1キロあたりのペースが30秒ほど速くなった。別にこの靴の回し者ではないけれど、確かに走りやすかった。ここから劇的にタイムがよくなる。体力がついてきたことと、靴の効果が発揮されたのではないだろうか。
順調だ。とても順調だ。さらにここから2つのプロテインを飲み始めた。1つは運動後の筋肉疲労を回復に導いてくれるプロテイン。もう1つは体重を落とすためのプロテイン。これも効果があったと思う。プラシーボかもしれないけれど、タイムはよくなった。
走り始めて1カ月半。10キロ走って1キロあたりのペースが4分台となった。4:59だけど4分台。走り始めた頃とは見違えるように体が軽い。靴とプロテインと日頃の練習のおかけだろう。週に4回くらいしか走らないけど、なかなかな気がする。
タイムは速くなるが膝が常に痛い状態だった。走れば鍛えられる気がするけれど、感覚としては逆で、どんどんとガラスの足になる感じがした。繊細になっていくのだ。ちょっとした段差ですら、怪我をする気がする。
昼間走るのと夜走るので疲れが異なる気がした。夜の方が疲れない。暗くてよく周りが見えないので視覚情報が少なくて疲れないのではないだろうか。一方で昼間は全て見えるので疲れる。そこで光を遮るためにランニング用のサングラスを買いに出かけた。
度の入ったサングラスが必要なので眼鏡屋さんで買った。初めてのサングラスだ。今まで走ってこなかったのと同様に、サングラスもかけたことがなかった。そして、わかったことは、俺、サングラスがあまり似合わないということだ。
膝は痛いが順調に走り、6月も終わりになった。タイムも10キロ走って平均で5分台前半と素晴らしく順調。もしかして、私にはマラソンの才能があったのかもしれない。神に選ばれし、ランナーなのだ。
そろそろ距離を伸ばそうとハーフマラソンを勝手に走ってみることにした。今まで一番走って12キロなので、約倍ということになる。左膝にはサポーターをつけている。膝が痛いのだ。でも、今の私なら走れる。そう、神に選ばれしランナーだから。
22キロを1キロあたり6分弱で走りきった。後半にガクッとペースが落ちるのだけれど、それは膝の痛みだ。膝から下が取れたのではないか、という痛みに襲われた。でも、どうにか走りきった私のガッツをどうか褒めてください。
あまりの痛さに次の日に病院に行くと、「走りすぎ!」と整形外科の先生に怒られた。骨は大丈夫だけど、炎症的なことが起きているとのことで、1カ月は走るな、と言われた。ここまで順調だったけれど、ここから全てが狂い始める。
上記が6月の終わりだったので、7月いっぱいは走れないことになる。さらに私は8月の頭から2週間ほどメキシコへ撮影にでかけるので走れない。1カ月半ほど走れないことになる。今までが順調なので予定外だった。さらに、が起きる。
メキシコで寄生虫が私の体に宿り、40度の熱と下痢・嘔吐が続き1週間ほど動くことができなかった。その後も今まで通りの食事を取ることができず、スープとヨーグルトで命をつないだ。目に見えて体力を奪った。
メキシコでの病院で胆のうにポリープが見つかり、検査のために日本でも病院に通った。造影剤を打ってCTを撮ったり、エコーを撮ったり。造影剤を始めて使ったのだけれど、内臓が熱くなる感じに驚いた。
検査の結果、胆のうにポリープが複数見つかった。担当の先生が「複数ということですので、いっっっっっぱい、あるということです」と丁寧に説明してくれた。「いっぱい」をためて言っていた。この時期は心配で集中して走ることができなかった。
胆のうのポリープは年に1回様子を見ましょう、ということなので、現状では手の打ちようがない。走るしかないのだ。ということで、また走り始めた。6月ほど足さばきが軽くないが、どうにか5分半を切るようなペースにまで急ごしらえだけど整えた。
長距離を走るには体重が重いとダメだ。一説には1kgでタイムが3分変わるらしい。段階的に体重を落としていた。目標は5kg減の60kgだったのだけれど、メキシコでの寄生虫が影響して、結果7kg落ちての58kg。体力の心配がすごい。
ダイエットは炭水化物を抜く、という感じで、バナナや十割そばばかりを食べた。なるたけ走り、食事制限をして、プロテインを飲み、とかなりストイックに頑張った気がする。あとは本番だ。
いよいよ本番の9月30日の前日を迎えた。9月の初旬にゼッケンや計測用チップが届いていた。それを持ち網走へと乗り込んだ。走り込み不足などが懸念事項。あとキツいのがわかるので、なんだか暗い気持ちになった。
よくランニングはストレス解消とかと言うけれど、タイムを気にして普段から走っているのでむしろストレス。タイムが遅いとイライラするのだ。不甲斐ない自分に。あと結局、膝などが痛いので、走っていて楽しかったことはない。でも、走っちゃう不思議。
前日は開会式だった。ホノルルマラソンなどが抽選で当たるのだけれど、当然のように外れ、さらに心配で3時半まで眠れず、当日を迎える。スタートは8時45分。日本でも有数のキツいコースだ。シャトルバスで会場まで連れて行ってもらう。
スタートはAからGまでのグループに分かれている。申し込むときに目標タイムを書くのだけれど、それでグループ分けが行われ、もちろんAから順に目標タイムが遅くなる。速い人の邪魔にならないようにスタートするのだ。
専用の袋に荷物を入れ預けるとゴールまで運んでくれる。初のマラソン大会だったので知らないことが多いけれど、よく考えられている。ちなみに6時間半内で走る必要があり、途中で数カ所の足切りが行われる。果たして、私は大丈夫なのだろうか。
Gグループなので、Aグループが走り出して10分くらいしてのスタートだった。初めて走るコースなので全てが新鮮で、足取りも軽い。6キロ地点から急な上り坂があるけれど、私は世界を震撼させる走りなのではないかと自分で思っていた。
急な登りの斜度はすごいもので、マイケル・ジャクソンの体を傾けるやつが自然にできそうなほどだった。しかし、私は止まらずに走った。アップダウンを軽々とクリアしていった。そして、14キロ地点の能取岬の灯台が見えた。
走るロケーションが素晴らしい。このマラソン大会は人気が高いのだけれど、その理由の一つがロケーションだ。ただね、なのだ。私の心は灯台で折れた。この辺でアップダウンが終わるのだけれど、考えられないほどキツいのだ。
22キロまでは頑張った。ただその先は地獄。気力や体力が灯台付近で0だったけれど、22キロからは気力と体力がマイナスに突入していた。もうね、無理なの。走れないの。キツいのだ。キツすぎるのだ。人生でトップ5に入るほどキツい。寄生虫と戦った時と変わらぬキツさ。
どうにか立ち止まることだけは避けようとゆっくりと前に進んだ。今でもキツさが思い出される。この時に思った。俺は一生フルマラソンを走らないと。特別にどこかが痛いわけでもない。ただもう無理なのだ。
このレースではカニ汁やしじみ汁など地元の名産品がエイドで出される。最初はタイムを本気で狙っていたので食べなかったけれど、後半は全てで食べた。新しい形の食べ歩きという感じだ。また地元の人がゲリラ的な私設エイドを出してくれていて、そこでもいろいろいただいた。いいレースだ。
ヒマワリが咲き乱れる大曲湖畔園地がゴールとなる。東京農業大学オホーツクキャンパスの学生たちが応援してくれている。各エイドにいるのも東京農業大学オホーツクキャンパスの学生。実は私は関係者で顔が割れているので、その学生たちの前だけは頑張って走った。
タイムは5時間32分。めちゃくちゃ平凡なタイム。ただ4月まで33年間一切運動をしてこなかった私が走りきったのだ。頭の中でサライが流れている。泣きそうだった。悔しさもあるけれど、達成感がある。フルマラソンを走りきったのだ。
ゴール会場は地元のお店がテントを出していてお祭りみたいになっている。立ち止まれる嬉しさ、芝生で横になれる楽さ。もう天国のようだった。ずっとこうしていたかった。なんなら最初からずっと横になっていたかった。
網走刑務所の受刑者が作った木のメダルには1000円で走破タイムを彫ってもらえる。3カ月から6カ月かかるそうだけれど、彫ってもらうことにした。そして、網走らしく流氷を使ったアイシングもあったので、もちろん使った。天国だ。会場のみんなが優しい。完走したランナーにはみんなが優しいのだ。これがマラソンの醍醐味かもしれない。
ただね、もう走らないと思います。めっちゃキツいの。練習を思い出してもキツい。週4くらいのペースで5月くらいからは毎回10キロ走っていた。キツかった。向き不向きがあって、私は根っからの向かない人。ただマラソン大会自体は楽しかったので、人生で一度はアリだと思います。
協力
多摩川源流大学
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東京農業大学オホーツクキャンパスhttps://www.nodai.ac.jp/portal/tebiki/Okhotsk/
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