特集 2018年11月23日

いまが見納め・京急大師線沿線散歩

地下化される前の姿を見ておこうと、みんなで沿線をてくてくと歩きました。

東京と神奈川県を走る私鉄、京急線。首都圏におすまいではない方でも、羽田空港に行き来するために乗ったことがある、という人は多いのではないか。

その京急のルーツが大師線である。その名の通り川崎大師への参拝のためにつくられた線だ。

この路線が地下化されるという。目下工事中だ。ならば、今のうちに地上を走る姿を見ておこう。

もっぱら工場とか団地とかジャンクションを愛でています。著書に「工場萌え」「団地の見究」「ジャンクション」など。(動画インタビュー

前の記事:いまこそ西郷どんの顔を明らかにする

> 個人サイト 住宅都市整理公団

産業道路駅の踏切の風景が見納めです

地下化されて見ることができなくなる光景の代表が以下の踏切だ。

「産業道路駅」という駅そばの踏切。地下化によってこの踏切がなくなる。

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産業道路駅自体も地下に移るので、この光景も見れなくなる。
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今年度、2019年3月末までに、この光景が変わります。見るなら今!

本記事の趣旨は、そのうち「そういえば大師線の産業道路駅ってどんなだったっけ?」って検索する人がでてきて、そのとき上の動画と画像が出てくるように記録しておく、ということであります。

なので、以上で目的は達成なのですが、これで終わるのも何なので沿線の風景を順番にお見せしたいと思います。ご興味ある方はお付き合いください。楽しかったよ。

せっかくなのでみんなで行こう

念のため言っておきたいのは、ぼくはべつに地下化に反対してはいないということ。交通量の多いこの産業道路に踏切があるのはどうにかした方がいいとぼくも思う。

そもそもぼくは基本的に「便利になるんだったらどんどん開発すべき」という分かりやすい思想の持ち主で、こう見えて(どう見えて?)ノスタルジーとかあんまり好きじゃない。

とはいえしかし、それは現在ある風景が嫌いということではないわけで、つまり、過去も現在も未来の風景もいずれも愛おしいと思うわけです。たいていの都市の風景を「いいなあ」と思っちゃうのです、ぼくは。だから見れるものは見ておこう、と。どうせ、死んじゃった後の風景は見れないのだから。

で、せっかくだから同好の士とともに見ておこう、というのが今回の沿線散歩というわけ。

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産業道路駅を見おさめる同好の士たち。

同好の士募集はTwitterで行った。

思い立って前日にいきなり呼びかけたにもかかわらず、そしてただ線路沿いを歩くだけという、一見なにが面白いのかさっぱりわからない散歩に付き合ってくれたみなさん。ありがとう。こうしてぼくを含め計7人の物好きが京急川崎駅から歩き始めたしだい。

「脱線」という表現はやめたほうがいいかしら

さて、さきほどから「地下化」と言っているが、地下化されるのはほんの一部だけ。

黒い線が大師線の全部。オレンジ色が地下化される部分。

当初の計画では、全面的に様変わりする予定だったが、費用の問題から上記の1kmほどの部分だけが地下化されることになったとのこと(詳しくは川崎市ウェブサイト内「京浜急行大師線連続立体交差事業」をご覧ください)。

で、日曜日に集合したのは京急川崎駅改札口。

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スタート地点の京急川崎駅。ここも最近リニューアルしたばかり。画面右奥に見えるのが大師線。
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ちなみに京急川崎駅すぐ横にあるこのちょっとした「キャバ状ビル」は……
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なんとあのハトヤのビルなのだ!
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中をちょと覗いてみると、確かにハトヤっぽいゴージャス風情。こんどじっくり入ってみよう。それにしてもなんで川崎にハトヤ?(事情をご存じの方いらっしゃったら教えてください)。
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これが川崎駅ホームを外から見たところ。下が大師線。上は本線。
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関係ないけど、気になるのがホームから見えるこの「デスカウント」。「金融流デスカウント」って「カイジ」あたりを連想させる。

さっそく脱線しましたが(話題が鉄道だけに「脱線」って表現はひかえたほうがいいかしら)、ここから線路沿いにみんなで歩いてきます。

すごく「散歩もの記事」っぽいです

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川崎駅周辺はルート変更も地下化されないことになったので、べつにさっさと先へ行ってもいいのだけれど、やっぱりなんとなく写真撮っちゃう。
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いかにも線路沿いって感じの風景が、いい。
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「柵がレールの再利用ですね」と参加者のひとり、ほんとだ。みんなで歩くとこういうの気づかされるから楽しい。
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しばらく行くと、道が線路沿いから離れてしまう。

実は上の写真の場所は「理想の『線路沿いの道が終わる場所』を求めて」という非常に共感しづらい記事で紹介したところ。今回歩いてみて、あらためて線路沿いに歩ききることの難しさを感じた。日本に始点から終点まで線路沿いに歩ける鉄道路線ってあるのだろうか?

しかたないので道なりに線路を離れると、そこは旧東海道。

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旧東海道を少し行ったところで、また参加者から「こんな標識がありますよ」と教えられたのがこれ。停留所跡と。ほほう。
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矢印の通りに行くと、ふたたび線路にぶつかるが、沿った道ではなく跨線橋。その先はすぐ多摩川で、右の車道は六郷橋。で、どこに停留所跡が?
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と思いながら下の線路を見下ろしたら、線路脇にホームの跡らしきものが!
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1947年の航空写真を見ると、なんとなく駅っぽいものが、あしかにある(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より整理番号・USA/コース番号・M696/写真番号・144/撮影年月日・1947/12/20(昭22)に加筆)
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それにしてもさっきまで地上だったのに、ここは土手に挟まれて掘り割り状の中を走っている。
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工場、水門、タワーマンション

どうして人はおっさんになると、廃駅だの古地図だのに興味を持っちゃうんでしょうか。いかんな。

ともあれ、こんな感じの年寄り臭い趣味を発揮しながら進むと、2つめの駅「港町」に到着。

ここは最近駅舎が新しくなった。駅前にタワーマンションができたので。

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港町駅。雰囲気ががらっと変わる。

旧東海道の時代からの名残と思われる風俗街の雰囲気から一転、「リヴァリエ」という3棟並んだ新しいマンションが醸し出す今時感。さっきまで全体的に茶色かった街並みが、急に白くなった。

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ちなみにこのマンションのマンションポエムは「空のかなたへ、感動は続いていく。」である(リヴァリエ(京急電鉄・大和ハウス工業)ウェブサイトより)

とはいえ、すこし先へと歩を進めれば、そこは工業地域の佇まいだ。

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魅力的なサイロとコンベア。空のかなたへ、感動は続いていく。
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向かい合うマンションとサイロ。いいなあ。
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「トラック注意」の文字かわいい。
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ようやくふたたび大師線沿いに。おりしもそこは工場のヤードのまっただなか。いい風景。
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ヤードとパイプラインの向こうに見える不思議な構造物は、
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水門。てっぺんの造形が奇妙。
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近づいて銘板を見てみると、1928年竣工とある。90年ものだ。
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そばには解説が。

また脱線かつおっさんくさい趣味で申し訳ないのだが、この水門、上の解説を読むと実に面白くて。

この水門が面しているのは多摩川なのだが、なんとここから川崎の街を横切るように水路が掘削される計画があったというのだ。

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上記解説板にあった「昭和12年 内務省告示第275号 川崎市都市計画図より抜粋」より。川崎区に水路が張り巡らされる計画だったことがわかる。

解説版によれば、住宅や工場が建っちゃったことと戦争によってこの運河計画は中止になったそうだ。トラック輸送の台頭なども理由だったのではないか。

そしててっぺんの造形は「ブドウ・梨・桃」がモチーフだという。工業都市のイメージが強いが、川崎区は果樹も盛んだったのだ。

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水門まで歩いてみて振り返ると、あえなく中止された水路の向こうに大師線。
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多摩川土手から見ると、工場、水門、タワーマンション、と実に面白い風景。

社員だけが渡る踏切

この水門のところから、ふたたび線路沿いに道がなくなってしまう。なぜなら、工場の敷地が線路に隣接しているから。

ようやく線路沿いに道が通じるのは、3つめの駅「鈴木町」のところだ。

この駅がまたおもしろい。

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駅に通じる道の路面には「ここから構内道路」とある。なんのことかというと、
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駅の向こう側全体、踏切の向こうは、味の素の敷地なのだ。

線路沿いを歩けなかったのは、味の素の工場が線路にあったから。そして鈴木町駅はもともと「味の素前駅」だったそうだ。現在の駅名も味の素の創業者である鈴木三郎助からきている。

踏切を渡ってすぐが門なので、ここを渡るのは味の素の社員など関係者だけ。ちょっとふしぎな踏切である。

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そしてふたたび味の素の工場に阻まれ、線路沿いを歩くことができない。ざんねん。
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みたび線路に復帰できるのは、大師線のゆかり・川崎大師の最寄り駅その名も「川崎大師駅」。
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ここから川崎大師へ向かって参道を行くのが普通の人々の行動だろうが、ぼくらは左にそれて線路沿いへ。
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これがぼくらの表参道。大師線沿い、ご無沙汰。

 

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ようやく工事区間です

川崎大師駅からようやく線路沿いを歩けるようになり、これがまた「ザ・線路沿い風景」という感じの良い道だった。

そしていよいよ地下化されるエリアに近づく。5つめの駅「東門前駅」だ。

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「ザ・線路沿い」を歩くと見えてくるのが東門前駅。
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ホーム上にある架線柱が「ハ」の字形になっているのがかっこいい。なんでこんななんだろう。構造的にだいぶ無理してる。

東門前駅を通り過ぎて東側に行くと、とたんに工事祭りがはじまる。いよいよ地下化エリアなのである。

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東門前駅そばの踏切。ご覧の通り、工事エリアの柵が出現。
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西側、駅方向を踏切から見たところ。線路面と両脇の様子からもわかるように、ここから地下に入る予定の場所。
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足下を覗くと……
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地下にはすでに線路が!
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そしてこんどは工事のヤードになっているため、線路沿いを行くことができない。
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ちなみに、近くには川崎大師の自動車祈祷殿というものがあり、踏切から見えるその威容に、みんなぎょっとしてた。
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以前の記事「産業道路を愛でる」に書いたが、マンションの横にやおらインド風のデザインが強烈。ここにクルマが並んで、スピーカーで般若心経が唱えられる光景はちょうシュール。すごい光景なので、興味ある方はこんどのお正月あたり見に来ると良いと思う。
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しょうがないのでふたたび線路沿いを離れ住宅街を行く
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ふたたび線路に近づけるのは隣の踏切。
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ここ地上を列車が行く姿こそ、見納めである。
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この踏切には工事の説明と状況を記した看板があって、じつに面白かった。
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「おおー! ここの下、こんなになってるのか!」
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「見学してみたい!」
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「傾斜何度ぐらいになるんだろう?」「そうとう急じゃない?」など喧々諤々。
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喧々諤々行われた踏切は上記「B」のところ。ちょうど傾斜になった掘り割りが終わっていよいよトンネルになるあたりらしい(川崎市・京浜急行電鉄株式会社「京浜急行大師線(東門前駅付近~小島新田駅付近)連続立体交差の工事について」より抜粋)
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あんまりにも熱心に見過ぎて、通行人に訝しがられた。
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で、いよいよ、ようやく地下化の本命・産業道路駅が見えてきた。

「産業道路」って名前、すてきなのになあ

いったいここまで読み進めてくれた人がどれだけいらっしゃるのか、はなはだ不安ですが、ようやく問題の産業道路駅です。

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産業道路駅。いかにも工事中って感じ。

今回、ちゃんと見ておこうと思った理由には、地下化に伴ってこの「産業道路」という駅名も変わってしまうというのもある。報道によれば京急の広報は駅名変更について「沿線の活性化に繋がるような、また、将来子どもたちが誇りを持って帰ってこられるような駅名になればと思います」と言っているそうだ。

以前「産業道路を愛でる」という記事を書いたように、ぼくはこの名前は素晴らしいと思っている。実は、さきほどの東門前の駅は、ぼくが今住んでいる家の最寄り駅である。前述のコメントはまるで「産業道路」という響きは子供たちが誇りに思えないと言っているようではないか。そんなことないぞ! 「産業道路」ってちょうかっこいいぞ、と言ってやりたい。

また「川崎区内の他の駅に関しても変更の可能性はなくはないですが、鈴木町駅や東門前駅などは地域との関連や歴史的経緯から難しいですかね」とも言っているそうだが、産業道路の歴史だって、味の素の歴史や、川崎大師の歴史と同じぐらいの重みがあるはずだ。

最初に「ノスタルジーは好きじゃない」と書いたが、この名称変更の理由はどうかと思う。というか、産業道路はまだまだ現役だし、それを誇りに思うことはノスタルジーじゃないよね。

……などと、ちょっとばかりうっとうしい主張をしてしまった。すみません。要するにぼくが「産業道路」とその響きを愛おしいと思っている、ってことです。ええ、よくわかってますよ、ぼくの意見が少数派のものであるってことは。くやしいなあ。

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こういう踏切にまつわる標識もなくなるわけですよねえ。
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もちろん踏切がなくなるのは良いことなんですけど、でも、この電車マーク、かわいい。
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みんな「かわいいよねえ」って言いながら、歩道橋の上から写真撮ってた。

 

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線路ジャッキアップのための構造物か!

さて、7つめの終点駅「小島新田駅」に向けて歩きはじめたところ、線路の上になにやらやぐらのような鉄骨構造が現れた。

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なんだろう、あの構造。
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ここはたぶん地下から再び地上に線路が上がってくるあたり。ということは……
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などと言い合っていたところ、良いタイミングで、ちゃんと解説板が掲示されていた。すばらしい。
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おお、これ、現在のレールをもちあげて、地下経由の線路に切り替えるための、ジャッキアップのための構造なんだ!(川崎市・京浜急行電鉄株式会社「京浜急行大師線(東門前駅付近~小島新田駅付近)連続立体交差の工事について」より抜粋)

地下に線路が敷設されおわり、さあいよいよ地上の線路から地下に切り替えるぞ、っていうときに、現在ある地上の線路を持ち上げる。それに必要な構造物だ。

「これって、東横線のときと同じだ!」と参加者一同。そしたら、

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掲示に「東急建設」の文字が。東横線のときのノウハウを提供か(ほんとうにそうかどうかわかりませんが)。
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東横線の時みたいに一晩で「それっ!」ってやるんでしょう。そのときは見に来よう。近所だし。楽しみ。

ようやくゴール

さて、ようやくこの散歩も終わり。いろいろ脱線しながら楽しく歩いていたら、3時間ぐらいかかってしまった。

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終点の駅ホームが見えてきた。
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ここが最後。小島新田駅。
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駅前の野生っぽいセブンイレブンがかわいい。
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みなさんおつかれさまでしたー。

「せっかくだから」ってこわい

と、これで終わりのはずだったんですが、ここで気になるものを見つけてしまいまして。

終点のさらに先、JRの貨物線を越えたところに気になるカーブが(赤で囲った部分)。

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せっかくだから、と行ってみたら、すごくキュートなカーブ。住宅と町工場がやんわりと並んでいる。いい。
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参加者のひとりが、昔の航空写真をとりだした。それを見ると……
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実は、かつて小島新田は終点ではなく、まだ先に線路が延びていたのだ。これは1947 年の航空写真。範囲は前出のマップとおなじ。赤い部分がくだんの箇所。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より整理番号 ・USA/コース番号 ・M377/写真番号 ・8/撮影年月日・1947/07/24(昭22)に加筆)
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つまりこれは「トレインハウス」だ。こんな近所にあったとは!
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そしてさらに「せっかくだから」と、工場を見に行っちゃいました。川崎に来たら、そりゃあ見に行っちゃうよね。

もし興味がわいたら、ぜひ。今のうちですよー

すごく地味な内容になってしまった。もし「今のうち見ておこう」って思った人がいたらうれしいです。見に行ってみてください。
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帰りは電車に乗りました。3時間かかったのが、10分で到着。電車って、速い!
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あと、小島新田の近く「殿町」っていう地名が最近「キングタウン」と称されていて、「産業道路」の名前云々よりこっちのほうをどうにかした方が良いのでは、って思う。

 

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